華やぐ日

 20歳になったら、成人式の日には、何もかもが変わると思っていた。早生まれだから、まだ19歳だったあの日、特に素晴らしい出来事も劇的な気持ちの変化もなかった。ただ秋田の冬には珍しくパカーンと晴れた成人式会場で、「インフルエンザこじらせてて、入院してた病院からそのまま来た」ってニコニコしながら真っ赤な振袖着てきた幼馴染を見て、もうきっと二度と会わないよな〜って思いながらくそくらえって思ったの思い出した。朝から着ていた帯も苦しかった。

 成人式という日に、なにか特別大きな期待を込めすぎたんだね。

 でも今思い返すとやっぱりあの日は特別で、良い日だったよ。あの時、幼馴染、お母さんに似てきたな〜って思ったこととか、わたしが髪を短く切りすぎたせいで振袖があんまり似合ってない気がしてはらはらしてたこととか、今もよく覚えてる。

 

 と、そんなことを思いながら今日は部屋の掃除をした。寝室においてある、宝物を入れてる箱をかなり久しぶりに開けたら、幼馴染からの手紙が入ってた。たしか高校卒業する直前に、いつもの朝の、地元の駅のホームで貰った。貰ったことは覚えていたけど、中身のことはすっかり忘れていた。

 手紙には、「今まで大事なこともちゃんと伝えられなくて、気を遣わせてしまったけど、私はずっと楽しかった。感謝してた」って書いてあった。「今までありがとう。これからもよろしくね。」っても書いてあった。

 

 なんで勝手にあの日、もう二度と会わないって思ったんだろう。これからもよろしくねって言われてから、2年しか経ってなかった。たぶんわたしがもう会いたくなかったんだろうな。あの時の私はまだまだすごく幼かったと思った。これからもよろしくねって言ってくれていたけど、もう会いたくないと思って遠ざけたことが、とてもくやしくてかなしくなった。いまさらだ。手紙にはお互いがんばろうねって書いてあった、あの手紙を貰った日から6年くらい経つけれど、あの子は今何してるのかなあ。

 

 岩手に来て6年が経ってしまった。新しい街に住んで新しく出会った人たちのことがすごく大切だ。でもそれまでに出会った人たちのこともすごく大切だ。

 幼馴染とは高校も一緒だったけど、入学後すぐぎくしゃくしてしまって、わたしも仲良しの友達ができて、あんまり話さなくなった。でも大切だった。高校の仲良しの友達は卒業したら全員違う県に進学して、就職して、結婚したりママになったりした子もいて、たまにしか会わなくなった。でも今でも大切だ。大学の友達は今でもいちばんよく遊ぶ。大切だ。バイト先の人とか、学科の友達とか、サークルの人とか、友達の友達で知り合った人とか、たくさんの知り合いとか、みんな大切だ。秋田に住む家族もばらばらに住むきょうだい達も勿論本当に本当に大切だ。大切にしたい。でもみんな大切なのに同じようにできない。

 すごくそれが苦しい時があって、全部同じように大切にすることなんか絶対できない。結局いちばん大切にしたい人を遠ざけてしまう気がする。むずかしいんだね。大人になるとむずかしいんだ。これからももっとむずかしくなるんだ。そういうことも分かったうえで、ある程度諦めたうえで、できるだけ大切にしたい人を大切にしようと努力しなくちゃいけないな。時間があるとむずかしいことをこねくり回すように考えてしまう。これを自分の中で大学生モードと呼んでいます。知らないね、そんなことはね。とにかく今はコロナの世の中が憎い。大切だけでなくて責任もできてしまった、ようやくだんだん大人になっていくな。

 できることをできるだけ、と思った成人の日だった。新成人のみなさんおめでとう、一緒にがんばっていこうね。

 

 

 2021年は、「磨く」年にする。
 身の回りを綺麗にして生活したいし、自分の体調とか肌とか身体と向き合いつつ、自分磨きもがんばりたい。仕事は3年目になるし、授業力や指導力も磨きたい。たぶん来年は転勤だし職場の整理もしておきたい。今年はすごい年になるよ。まずはもう少しだけ続く冬休み(本当にありがたい。このお休みのおかげで本当にがんばれます。)のあいだ、部屋をぴかぴかにするんだ。

 今年もわたしの大切な人たち、よろしくお願いします。