四次元ドラフト会議

 昔いっぱい日記を書いていた。もやもやしたこと、うれしかったこと、悲しかったこと、おいしかったもの、好きな人たちのこと。

 

 2年半前、ブログを書いた。字が下手だったんだけど、毎日毎日書いてたら少しは見れたもんになったんだよって。

 日記もそういうたぐいのものだなあと思った。練習?鍛錬?ちょっと違うけれど、毎日書いていると自分と会話できるようになってくる。

 ああ、あれ本当心底嫌だったよねとか、あんたあれ好きだったじゃんとか、あの子元気してるかねえとか。文字の向こうの自分が相槌打ってくるから、確かになあと思って嫌だったことを時差でブワーッてぶちまけたりとか、昔好きだったホームページ覗いてキャ!って思ったり、連絡取っていなかった人に元気?って送ってみたりなどする。

 もうひとりの自分が色濃く存在していた時期だったかもしれない。わたしが自分のことをなんだかんだちゃんと大好きなのは、もうひとりの自分がいてくれたおかげといっても過言ではない。わたしよりも冷静なのにちゃんと思いっきりキレてくれるんだ、わたしは怒ったとき泣くしかできないから。

 

 そう、話は戻るけど、今はあんまり日記を書いてなかった。働き始めてから忙しくて、真っ白の手帳を12月に見てがっかりするのが悲しいし、もうひとりの自分の不要さを突きつけている気持ちになったから。SNSの不要さとか、140字ぽっちのくだらなさとか、綺麗なものへの謎の憎しみや愛が募るなか、わたしはわたしのためにもうひとりの自分と猛ラリーが必要なのではないかと感じてしまった。

 19歳のわたしが思ってたこと、22歳のわたしが思ってたこと、24歳のわたしが思ってたこと、恥ずかしいやら可愛らしいやら妙に大人っぽいやらでかなり愛おしい。つまりはきっと40歳になったわたしも26歳のわたしを愛しんでくれるはず。黒歴史万歳。がんばれ日記千本ノック。目指せ40歳のわたしからのドラフト1位指名。