色のない鳥

 

映画のエンドロールを見ながら、自分が死んだときに自分のエンドロールが欲しい!と思った。

親: とか友人: とか隣人: とかクレジットされてたらおもしろい。すごく良いね。人生で関わった人全員流すのだ、あの時道尋ねた人とか、友達の知り合いでなんとなく挨拶して他愛ない言葉を交わした人とか、なんかそういうの本当に全員流すのだ、好きだった音楽とかブランドとかのロゴも羅列してやる。

スペシャルサンクスばっかりの人生がいいよ。本当に心の底からそう思う。毎日毎日わたしは泣きそうだ。

憎むくらい大嫌いだった人コーナーも作ったっていい。今は別にそんな人いないけど、でも見た人がちょっと笑える感じになればいい、死ぬまでに1人くらいめちゃくちゃ嫌いなやつだって出来るだろう。

通夜一晩じゃ流しきれないエンドロールが欲しいな。自分じゃ気づけなかった、自分を支えてくれていた人とか、遠くからでも少しでも自分のことを思ってくれてた人も全部全部載せたらめっちゃおもしろいだろうな、幸せだろうな。まあ根本的な話、その時もう自分死んでるんですけど。

 

 

 

過去の日記を読んだ時、考えていることが特に何も変わっちゃいないなと思った。というか、それを思ったり考えたりした時からもう数か月から1年以上、長くて数年経ってることにも驚いた。

 

 

 

わたしが生きている毎日のあれこれ、生活の出来事は、別に全部が全部エンドロールへの伏線なわけじゃない。

でも実は、きっとそうだったらいいなと、常日頃願わずにはいられないよ。

 

それでも覗きこむのさ

 今年は冬がすごく寒かったので、春の兆しがこんなにもうれしい。

と思っていたら、なんだかまたしとしとの雨はいつの間にか雪に変わっていたり、とけかけの雪道でしっかりすべって転んだりしている。もどかしいなあ、三寒四温というやつかしら。

この町に住んで3年が経った。この冬が今まででいちばん寒い。関東の梅の開花をとてもうらやましく思う最近です。

 

2月はなんだかずっとどんよりした気持ちで居てしまった(あと13年ぶりにインフルエンザにかかってしんどかった)。そしていつの間にか21歳になってしまっていた。自分のできない事に対して誠実じゃなくなってきた。友達との話し方がなんだかよく分からなくなってきた。勝手に距離を感じてぎこちない行動を取ってしまうような気がする。しかしもう進路の悩みや体調不良が少しふっきれて元気になってきた。なんだかいろいろと佳境です。佳境って言いたいだけ。元気もりもり。おう。やってやんぞ。

 

3月初めの土日、春の匂いがしそうだった(しなかった)。白鳥がどんどん北へ帰っていく。夕暮れの色がやさしい。空を見上げることが増えた。

 

 

 気づけば冬至は遠くへ、立春も過ぎて春分の日のほうが近くなっていた。わたしはどの季節もわりと好きだし、どの季節も少しずつ苦手だ。ただ、季節が過ぎていくことがなんだかせつなくてそれがとても楽しい。きゅるきゅるする。目の奥がぐるぐるもする。

 

早く夜の帰り道が気持ちいい季節になってほしいです。だれかの家の前を通ったとき一瞬だけする自分とは違うせっけんの匂いが大好き。

 

3月は花を育て始めます。よい冬の終わりを。

小寒

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ウボンマね

 

この冬ちゃんと帰って良かった。しゃんとしなきゃと思った。

 

小学校跡地を歩いたらプールがなくなっていた。竹水鉄砲で遊んだ公民館もなくなっていた。学校帰りによく寄った店は駄菓子を置かなくなっていた。母実家の町へ行ったら白い灯台がなくなっていた。

 

思うことはあるけれど、なくなったんだし、仕方ない。どうしようもない。覚えておかなきゃいけないかしら。予想していたよりあんまりかなしくない。育ってきた町が少しずつ少しずつ死んでいくみたいだけれど、そういうことは仕方がない。仕方がなくしないとすごくかなしい。

 

夕方の港を1人で歩いてみた。寒かった。

わたしは明るかった町がもう思い出せなくなってしまっても港からなんにもなくなってしまってもこの海がずっと好きだよ。

かなしみ

ずっとずっとかなしかったことが、時間が経って丹念に撫でてたら、そしてそのあとよく日にあてて風をあてて、放っておいたら、すこし平気になってきた。平気になってきたのに、なんだかひどく不安だ。気持ちの奥底にずっとあるのだと思っていたものがいつのまにかなくなっていることは、すごく怖いかも。

でもかなしみの深さで何かを測る必要はないよな。張り合う必要もないしな。かなしみがなくなるかなしみと、かなしみがなくならないためにすこし無理をしてかなしむことは、どちらがかなしいんだろう。それこそ不毛だ、かなしみなんかなくならないかもしれないし。

 

じゃあ、さて、どう生きよう。やさしくなりたいね。毎日こんなことを考えています。

1987→→→→

 

まだウォークマンもイヤホンも持ってなかった12歳、親の車にあったスピッツの三日月ロックを持ち出して真夜中、CDプレイヤーを抱いて、二段ベッドの上の段の姉を起こさないように、暑いのに布団をかぶって、ちいさなちいさな音でずっと聴いていた夏、わたしの醒めない瞬間だったと思う。

 

スピッツ結成30周年おめでとうございます、メンバー変更も活動休止もなくずっと続いてきたこと、素晴らしい音楽を鳴らし続けてくれたこと、これからもずっとずっと続くように願っています。