オリオンの肩

 夕焼けが家に帰る頃に見られるとすごくうれしい、うかうかしていると秋も終わるね。夕焼けも好きだけれど、同時に夜明け前に外にいられることもうれしい、から、つい週末がおわってしまって恋人の家から明け方帰っちゃったりする。そうするとこれから始まる1週間すごく疲れちゃうんだけど、でもぱって空見上げたときの星の輝きはひとりだけのものなのだ。すごいよ。だれにも教えてあげない。

 

 えらいからちゃんと毎日がんばって働いているけれど、不安だなと思うことも忙しくて難しいことが考えられなくなってインスタント脳みそだなと思うことも、自分のちゃんとしてなさに落ち込むこともかなりあって、自分のことえらいと思うけど、えらいだけじゃだめなんだなあ。ムカムカするしうるせ〜〜!って思うから、いろんなことシャットアウトしたくもなって、このままだとだめだけどどうしたらいいかわからない。そんでも、わたしの目はまだ光をとらえてる、見つけたときじんわりする。憧れも煮詰めすぎるとしんどいって去年くらいに分かった、以上!どこまでもいこう!とりあえず好きな青を待って外を出るのだ、がんばれ〜〜!!!

ろうそく

 大きな台風が過ぎて空はかーんと晴れてた。道にはたくさん葉っぱが落ちていてみずみずしいにおいがした。風がビューンって耳元をぬけていった。髪が伸びたな。髪の毛を男の子みたいに短くした日を思い出した。あんなに顔も耳も首も出ていてなんだか照れくさかったけど、あの時のわたしの、耳より短い髪は、身軽さの決意だったことを思い出した。すっかり秋だね。秋もすきだ、10月の晴れの日がすきだな。光がこんがりした色になってくる。髪が伸びても、まだ身軽だ!

 

 

 ここ1年くらいで、何年も何年も苦しさの原因になっていたことのひとつが、とーんって、よくなった。もういいかなーって思った。もう別に苦しまなくていいなーって思ったら、底にいたやつが、そっか〜〜って安心してくれた。のがいつのことだったっけ、そっからもう、たぶん苦しくならなくなった。減らせるものは減らせたほうがいいなーって思った。さいなら。

 

 

 そう、すごくうれしいことがあった。先月、高校の同級生だった大好きな友達がお母さんになった。すごくすごくうれしくて、涙が出た。君が元気にまぶしく明るく幸せに生きられるようにわたしたちは今をつくらなければいけないな。おめでとう!君のお母さんはとっても繊細でやさしくて素敵な人だよ、そんで、世界はきっときれいだ、楽しんで。

 

 

ネガの街は続く

 梅雨が明けた。わたしが好きだった夏の話をする。

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 田舎の早朝はいい匂いがする。昼間の暑さが一晩かけて静かに冷たくなっている。実家の畳の匂い、土の匂い、裏口に置いてある生野菜の匂い、どうしても嗅ぎたくて無駄に早起きして、畑仕事から戻ってきたおばあちゃんにどうした寝ろって言われるのが好きだった。

 

 

 朝はピアノのある部屋が涼しかった。夏休みは毎朝そこで勉強した。お昼を過ぎると座敷とおばあちゃんの部屋が風がよく通って気持ちよかった。やることがない日は毎日涼しいところを探しながらごろごろしていた。

 

 

 昼間はよく庭に小さいビニールプールを出して遊んだ。あんなに小さいビニールプールなのにみんなで入ってた。水遊びをしたあとはぬるいお風呂に入れられて、そのあと決まって着るワンピースがあった。

 

 わたしは赤いミッキーのワンピース、2つ上のお姉ちゃんは水色の細かいギンガムチェックのワンピース、4つ上のお姉ちゃんは青いヒマワリ模様のワンピース、どれもノースリーブで、ぬるいお風呂に入った体にふれる午後の風がこそばゆかった。わたしは3番目だから、小さいうちからお姉ちゃんの着てる服や使ってるおもちゃはお下がりでもらえるって知ってた、早くヒマワリ模様のワンピースが着たかった。ずっとずっと着たかった。ものすごく着たかったことは覚えてるんだけど、実際に着てた記憶ってないな。ギンガムチェックのワンピースまでは記憶あるんだけど。そういうものなのかしら。

 

 

 小学生になってからは、ラジオ体操が好きだった。なんかラジカセをもって公民館の前にいる町内会長のお兄さんは学校で見るより大人っぽかった、ハンコ持ってるなんて、オトナだ、とか思ってたね。

 

 

 すごく普通の元気な小学生だったから、プールも好きだった。もう毎日行ってた。日に焼けて真っ黒だった。保育園から仲良しだったあやかちゃんと毎日朝9時にプールで待ち合わせした。監視員のバイトのお兄さんと遊ぶのが好きで、みんなで勝手にワッさんとか、リンゴさんとかトカゲさんとか、変なあだ名つけてた(リンゴさんはホッペが真っ赤でリンゴ病みたいだったから、トカゲさんは更衣室にいたトカゲを捕まえてくれたから笑…みたいな。ワッさんは知らない。笑)。勝手に鐘鳴らしたり、ケータイで彼女の写真見たりしてプールに投げられてたな。たのしかった。

 

 

 夕方になると、近所に住んでたホサカさんっておばあちゃんと、うちのおばあちゃんと、近所のワタナベさんっておばあちゃんとか、みんなで夕涼みをした。ちょっと腰掛けれるくらいの土管みたいなのがあって、ぼんやりおばあちゃんたちの話聞いたり、弟とトンボとったり。小学生くらいの時、弟はどこまでもわたしについてきてかわいかった。よく山に入ったり川に入ったり、トンボ見たりネコ見たりしたなあ。今でも一緒に散歩しよ〜って言うとついてきてくれる、かわいいなあ。

 

 

 

  8月のある夜、すごい勢いでお父さんに起こされたことがある。ペルセウス座流星群の極大日で、眠かったらしくて全然覚えていないんだけど、なんだかその年はすごい数が流れてたみたいだった。お父さんは中学校の理科の先生で、星が好きだったから、いつも庭でたくさんの星を教えてもらった。

 

 今でもお盆になるときょうだい4人で揃って庭にレジャーシート敷いて、毛布持って寝っころがって流星群を見る。みんなで同じ流れ星を見つけた時がすごく嬉しい。いつまでできるのかな。今年も晴れるといいな。

 

 

 

クロニクル

 週末、富士吉田に行ってきた。行かずにいられなかった。志村正彦の没後10年に合わせて発売される未発表映像作品の先行上映會、"路地裏の僕たち"による志村正彦展、が、ふじさんホール(旧 富士五湖センター)で行われた。

 

 

 月江寺駅に着いたら、2008年の富士五湖センター公演の時の「夢よ叶え!聴かせておくれよフジファブリック!」横断幕が駅の前にデカデカと掲げてあって、もうすでに泣きそうなわたしの後ろから、ファンの人と地元のおばあちゃんの「今日何かあるの?」「フジファブリックってバンドのイベントがあって…」「ああ!あの八百屋さんのとこのマサヒコくんね〜」という会話が聞こえてきた。ここは彼の街なんだ、わたし達ファンにとっては永遠のロックスターでもこの小さな街では1人の愛すべき子どもだったって感じてしまっていろんな気持ちになりながらホールに向かった。

 

 

 上映會、すごくよかった。11時の回は序盤映像トラブルがあったんだけど、それすらも、おいおい志村がまた来たんじゃないのってあたたかい拍手が会場から聞こえて、いいなあって思った。2009年のアルバムCHRONICLEツアーのライブ映像で、動く志村正彦を見て、「ああ、志村正彦のいるフジファブリックのライブが見れた」って思った。

 「路地裏の僕たち」主催の志村正彦展では、生前の写真や機材、歌詞やファンからの手紙、中野でやった最後の志村會の時の大きな写真が展示されてた。亡くなる前日の写真があって、本当に楽しそうに笑ってた、この人はこの夜に亡くなってしまったって思ったらなんか信じられなくなった。幼少期の写真は普通のやんちゃな男の子って感じでかわいかった、ただ、目だけはずっと同じだな〜って思った。

 

 上映會が終わって、路地裏の僕たちから貰った下吉田てくてくマップを片手に彼の街を歩いた。路地裏って言葉が似合う街だな、どこの角からも猫が飛び出してきそうだった。

 

 

 この上映會と志村正彦展を通して、ああ、志村正彦はいたんだなって実感した。わたしはもしかしたら志村正彦展も上映會も、彼の生きた証を目の当たりにしたらつらくてもっとウワ〜って泣いちゃうかと思ってた。でも笑顔の写真や映像がたくさんでうれしかった、本当にこの街や人に愛されてたんだって思った。同じくらい、どれだけ彼がこの街を愛してたのか少し感じられたような気がした。

 

 

 愛ってのは相手を想い続けることで、愛するってのはそれを相手に伝え続けることなんだって昨日分かった、それが分かったからきっとうれしかったんだな。この世にはもういない人を愛するって、正解はないんだけど、というか正解なんてなににおいてもきっと全然無いんだけど、でもきっとああいうことなんだなって思った、すごいよ。

 志村正彦を、"いない人"として扱うわけでも、勿論"いる人"として扱うわけでもない、ただ"ここにいたよ"、まだ想ってるよ、それは変わらないよって伝える上映會と写真展だった。

 だから、涙も笑いも悲しみも嬉しさも楽しさも呆れも情けなさも全部が、会場と会場にいた全ての人にあったね。それを全部全部見せてくれたフジファブリックやスタッフや路地裏の人たち、富士吉田の人たち、本当に志村正彦のこと愛してるんだな、夕方のチャイムが若者のすべてになっているこの7月に行けてよかった。こんな愛されかたってあるかよ。受け止めきれずに断続的にずっと泣きながら岩手に帰っています。本当に行ってよかった。ありがとうございました。

 

 

 そしてそれはフジファブリックフジファブリックとしてあり続けていたから出来たことで、知れたことで、志村正彦は、フジファブリックはいつまでも過去にならない。フジファブリックは最高だ。2004年の時点で山内総一郎が「フジファブリックにとって一番大事なことは続けること」「続けなきゃいけない」って言ってて、関西弁のチャラくて若い総くんが世界一頼もしく見えた。続けてくれてありがとうっていうのは少し違うのかもしれないけれど、きっと一生好きなバンドだなって思った。これからもずっと続きが聴きたい。

 

 

 3年ぶりに行った富士吉田の街は変わらずなんだか好きで、これからもきっとまた来るんだろうなって思った。3年前も今回も天気が悪くて忠霊塔のあの丘から富士山を望むことができなくて、七夕の短冊にお願いして帰った。次は富士吉田の地で富士山が見られますように。

 

 

 

キミに会えた事は キミのいない今日も

人生でかけがえの無いものでありつづけます

  (クロニクル)

最近の話

 大学生のときよく聴いてたきのこ帝国が活動休止した、かなしいというより、なんだか、そうか、と思ってフタをしちゃった。19歳の春のこと、20歳の春のこと思い出す、わたしはあの時いつか必ず、必ずと思い続けていた、腹の中が煮えてた、本当はもうよかったことまでずっとまだ煮えてた、あの時わたしはちょっと苦しかった。いつも朝焼け見ながらひとりで近所の池のまわり歩いてた。

 でもそれと一緒に、大好きな人たち、大好きなバンドの写真を河原で撮ってたこと、みんなタンポポの綿毛飛ばして笑顔だったこと、うれしかったけどあの人たちはすごく特別だ〜何にも変えられない、こうして関われることがうれしいけれどすごくせつないと思って少し泣きたくなったこと、帰り道タンポポ踏んで帰ったこと、雨の中傘さして友達のバイト終わるの迎えに行ったこと、よくわかんない人たちと馬鹿みたいな悪巧みをファミレスでしたこと、結局その悪巧みは叶わなかったんだけど、そういうの全部なだれ込んできて、わたしはずっとずっと幸せなのだ。今だってずっと幸せなのだ。

 

 わたしはずっと、誰かのために何かに怒ってる時ならやさしくなれるかもって思っていた。誰かのことを思って身体が震えるくらい怒ったことだってあった。

 わたしはすぐに怒る。本当はすぐに怒る自分のことが好きじゃない、わたしが怒ったときに事態は好転したことがない、たぶん怒るのが下手なんだ。でも怒ったときはそんなの関係ない、全部切り刻んでやる!って思う。君はすぐ怒るよねって友達にも言われた、でもその友達はわたしが怒る人でよかったって言ってくれた。よかったのかな。

 

 最近は忙しくて怒ってる暇なんかなくなった。いいのかな。わるくはないと思うけど。

 

 

 

 最近のいいことその1。この町も少し好きになってきた。行きつけの喫茶店ができた。何も予定がない週末はひとりでぼんやりコーヒー飲みながら本読む、コーヒーを頼むと必ずチョコレートがついてくるの、おいしい。

 最近のいいことその2。また少し寒くなってしまったけど、夜風が気持ちいい日が増えた。ぬるくて涼しい風の中を半袖で歩く夜は水槽の中にいるみたい。わたしは金魚だ。

 最近のいいことその3。お腹がいっぱいになるまでカレーとすごく大きいナンを食べた。すごく大きいナンはすごく大きい。

 

 

 眠い日々が続いています。よく眠って長い長い昼間を生きるのだ、わたしたちすべてのものの命みなぎる初夏なのだ。おやすみなさい。