好きな絵本の話

 絵本がだいすきで、いつからだったか毎月好きな絵本を必ず一冊買うことに決めている。今月の絵本、って本屋をぶらぶらするのがたのしい。

 

 たしかいちばん初めに買ったのは、にしまきかやこ作、わたしのワンピース、母の実家にあっただいすきな絵本で、うさぎの女の子が真っ白いすてきなワンピースをつくる。そんでそのワンピースを着て花畑を歩くと真っ白かったワンピースはいつのまにかいちめんの花もようになってる。すてき!と思って原っぱを歩くと今度は原っぱのもよう、鳥の群れに会えば鳥のもよう、突然の雨に降られれば水玉もよう、夕暮れもよう、満天の星空もよう、どんどんワンピースのもようが変わっていく。うさぎの女の子はいつでもラララン ロロロンってうたいながら歩いていくの、小さいころは特になにも考えず読んでいたけれど、すごく好きだな。今のわたしが洋服がだいすきなこと、歩きながらすてきなものを見つけるのが得意なこと、原点はこの絵本なのかもしれないなと最近思うようになった。ほんとうは雨の日や寒い日は得意じゃないけど、わたしはわたしのワンピースをすてきなもように変えていくのだ、とかよくわからないことをいつも思っています。

 

 

 

日がのびてきたな。5月や6月のにおいがたまらなくすきだ!体調は崩し気味だけどまけないぞ〜〜

のはらうた

 盛岡を離れた、さよなら、盛岡での4年間があって良かった。

 

いろいろあったんだけれど、1番うれしくて幸せだったことは大好きな友達ができたことだった。友達はかっこよくて、眩しくて、なんかだらしないときもあるんだけど行動のひとつひとつに理由があるように見えて、変な子なんだけど、どうしてもずっと好きだった。初めて心の底から人間としてこの人のことが好きだなあと思った。大好きな友達といれば無敵な気持ちになれた、別にたいしたことはしなかったけど君といるならなんでもできる!なんかラーメンに今日はライスつけちゃおかな!みたいな馬鹿な無敵さ、わかる?夜中のマックで待ち合わせして遊んだり、キャンプの時に準備抜け出して日本海の夕陽見たり、一緒にライブ行ったり、街中で急に叫んだり踊ったりする君にハラハラしたり、さらに友達を呼んで夜中に星見に行ったり、夏の夜の大学で缶チューハイ片手に静かにおしゃべりしたりとか、なんかとにかくここでの生活はすごく楽しかったんだ、良かった。

 思い出すとなんだかわたしたち、青くてかわいかったな。うれしかった。あったか〜〜、春ですわ。

 

 

 わたしの仕事は未来を創る仕事だ。と、思う。そうじゃなきゃいけないと思う。がんばりたい。

 わたしが子どもの頃近くにいてほしかった大人になる。難しいと思う。でも子どもでもい続けたいと思う。さらに難しいと思う。大人のまま子どもになれる人はかっこいい!すごくかっこいいよ。

 わたしはわたしが憧れる人間のようには自分に芯などなくてずるくて頭も容量も悪い。なりたい大人には一生なれないかもしれない、けどそれってつまり勉強だ、勉強って好きかもって最近思う。

ただ、勉強するということは自分が変わることだから、怖い。これまでもそうだったみたいに、今までの自分ではいられなくなるね。でも今日みたいに今までのことを思い返してじんわりあったかくてさみしい気持ちになれるのなら、大丈夫かな。幸せです。

 

 なんだかいろんな友達に会いたくなってきた、もうすぐ春が来るから足が軽いよ。

カレンダーをめくったら

 

今のわたしは、祈りが呪いに変わらないか、悲しみが怒りに変わらないか、強さはだれかを攻撃をしてしまわないか、無関心は人を殺さないかがいつも怖い。

 

わたしは誰かのために生きたい、君のため、誰か不特定多数の君のために生きたい、それはあの子でもあるしあの人でもあるしもういないあの人だったり、あいつだったり、もうきっと関わることのない名前も忘れた人だったりする。もちろん家族や好きな人や友達やみんなだね。それが自分の生き方のためになると思っているからかもしれない。

 

22歳になった。やっぱり春からこの町を出ることになった。18歳のとき秋田を出る日も思った、今までなんとなくやんわりと会って話したり遊んだりしていた人とはこれからきっと、なんとなくやんわりと会えなくなっていくんだろうなあ。少しずつ。夢の中の話みたいだ、全部覚えていられるわけもないもんね。なんだかさみしい。でも宝物は増えていくから、大事な脳の作業みたいなものかもしれない。そしたら寝なきゃな。

 

新しい家は今よりも広くて日当たりがいいんだ、それが楽しみです。がんばります。

インディゴ・ブルー

 卒業前、最後の実習で小学校に来ている。毎朝寒いなあと思いながら出勤すると既に登校している子どもたちがカラフルな防寒着、カラフルな声で雪の上をころころ転げ回っていて、寒くてこわばっていた口がゆるむのを感じる。

 

 

 大寒も過ぎた。今は1年で1番寒い時期で、それでもこの時期を愛せてしまうのはやっぱり1番寒いからだ。1番寒いということはまたこれを機に冬が緩んでいくということで、1年の巡りのことを考えて心までまっさらで眩しい白になっています。こんな冬の晴れの朝は特別だ。

 

 

 わたしはやっぱりどの季節も好きだ。巡るから。季節はもちろん、わたしだって雪の中を転げまわった日があるし、あの子たちだっていつか同じ思いをするかもしれない。今だって雪の中や原っぱで転がり遊ぶことができるしかなり楽しいけれど、また違うことだよね、それは。

 

 

 

 晴れた11月の新潟の海、電車でうとうと寝ながら見ていたなとかそういうことを思い出したら、また1人でどこでも行ける気持ちになった。でもその話を聞いてくれる人たちがいるおかげで、わたしは今日が晴れてるだけで嬉しくて、生きていくためには周りにいてくれる太陽みたいないつもの人たちが必要だ。なんだかとってもありがたい。

 

 

 わたしは自分勝手に生きていて、周りの人がくれるやさしさとか気遣いとかも、くれるもんは遠慮せず全部もらう。そういうものだと思ってる。それでもいつでも自分勝手に生きてること忘れちゃいけないとも思ってる。いつもごめんねと思うけど、ありがとうは忘れず伝えたいね。

 

 

 嬉しくても怒っても、なんともなくてもすぐにすぐに泣いてしまうけれど、毎日自分の巡りのためのスイッチをいつでも探して歩いている。すぐ上空を飛ぶ白鳥とか、濃い青の空とか、小さい子どもの笑い声とか、近所の人へのこんにちはとか、全部祈りだ。まだ言ってるね、わたし。

明日から2月です。もうすぐ22歳になる。

Life is Party

 

せっかくだからとかいう言葉があんまり好きじゃない。イベント事とかもなんかこう、上手に乗り切れない。乗りたいわけでも反抗的にいたいわけでもないのだけれども。

 

最近まで気づかなかったけれど、わたしは自分の機嫌に対してかなり頑固だ。他はわりとどうでもよかったりするけれど、自分の機嫌を絶対に自分でコントロールしたい、他人に干渉されたくない。ご機嫌とりはとてもくだらないことだけど、さらに他人にご機嫌をとられることほどくだらないことは世の中にはない。他人の感情をうわべだけで無理やり変えようとする人、変えられると思っている人が世の中には少なからずいるのね。そういう人は嫌い。話が通じないもの。話をしていても無駄なことだ。

 

ただ、それに気づかないくらい今まで育ってきたなかで自分の感情を自由にさせてくれる人たちに恵まれてきたんだなと思ってかなり嬉しくなった。幸せものです。

 

そういう性分なのでイベント事に乗じて他人に思いを伝えるとかそういうことができない。ただ楽しいことやパーティーはかなり大好き、イベントとか言わず毎日やれ、と思う。

 

だから、きっと、やりたいことはすぐやって、思ったことはその時にすぐ伝えたらいいのだ。なかなかできない。来年はとか言わず今この時からがんばりたい。毎日がパーティーで毎日がバースデーで、毎日がわたしのための日で毎日が大好きな人たちのための日だといい。毎日がふつうのかなりいい日になることをわたしは祈りたい。こうしてる間にも朝はまだ暗くなる、でも夕方は長くなる、寒さはますけど巡る。がんばりましょう。