宇宙の日

昔から宇宙と空の話が好きだった。

太陽フレアが地球に届くと言われた日、この街でもう少しオーロラを待ってみてもいいかなと思えた。

 

 

今日このブログの記事を読み返して、まあ暗いのですわ

とっても暗い。

そういう感情だけで生きてるわけじゃないけれど、なんとなく面倒くさがりだったりずっとさみしかったり認めてもらいたくてたまらなかったり言い訳っぽくなったりする自分とは、向き合い続けなければいけないのだという、馬鹿な意地があってね、

それはおいといて、

 

毎年毎年夏のことが嫌いになっていくのはどうしてか考えていたら、ひとつだけ分かったかもしれなかった。

 

 

エネルギーがたりないんだ、今のわたしには、全然たりない。自分の内側からどんどん出てくるはずのエネルギー、忘れてるんじゃないかな。

新しく知った音楽を聴いて寝る夜、運命だと思って買ったCD抱えて歩く帰り道、夕飯なに作ろうって考えてる時間、新しい街で会った君のこともっと知りたいと思った日のこととか、 自転車でひとり大声で歌って帰る夜とか、明け方の始発列車に飛び乗った日だってそうだ。

 

生きてる感じしないと泣きそうになっちゃうな。

泣きたくなるくらい好きなものを前にして、どうしようもない感じ、全然意味がわからないので、わたしは悲しいのです。やっぱりちょっとどこかおかしいのだな。いまの気持ちのままでは、もうわたしはどこへもゆけないのです。ここから動き出せないのです。

 

たとえば

 

 このあいだ夏休みのあいだ、安藤忠雄が設計したアトリエの中庭を見ました。

 正方形のタイルがあちこちに敷きつめられたきれいな庭園だったんですけど、近未来的って、あの、よくある建築様式とか美術館の庭園とかの計算された幾何学模様の噴水広場みたいな、角ばったコンクリート風の建物とか。好きなんだけど、いったい近未来とは。

 

 何十年も前からあるモチーフで、ある意味では使い古されてるけど、それでもモチーフとしての近未来はどこへもゆかないので、近未来っていつのこと?いつまで経っても来ないなあ。近未来という時代がそもそもパラレルワールドなのかもしれないよね、という仮説の話です。

 

 大丈夫って毎日毎日言います、

 いくつものパラレルワールドでそれぞれ自分の人生の物語を進めている話を聞いて、わたしもそうしようと思ったのです。

 ここではないどこかで、四角い庭に住むのです。

 

 

 

 

 

夏が終わる

わたしの生きている世界には仕方がないことがたくさんあって、勿論誰にでもあって、当たり前のことです。

 

何かを、仕方がないと割り切ることは悲しいので、でも立ち向かうこともとってもつらくて、立ち向かう勇気をくれるのが君なら、立ち向かうのをやめてしまって仕方がないなって、悲しくてどうしようもなくなった時に、それを、どうしようかな、思いやるのがわたしです。

大丈夫だよって言ってあげるのは君の役目です。

たくさんの仕方がないと仲良くなるのです。誰よりも仕方がないにやさしい人間になりたいと思っています。

 

最近のわたしは、認めてほしい人に認めてもらう手段を持たないばかりに自暴自棄になってきたようです。醜くて小さな争いにかまけています。

 

わたしはとんと人が嫌いになったけれど、それでも思いやりがある関係を築けるならもう少し大切な人たちの隣で生きようと思います。まだまだ子どもです。

 

わたしの生きる世界に信じる神はいませんが、たったひとつやさしいだけで、それを信じてるだけでわたしとわたしが好きなひとたちが豊かであたたかな人生を送れるように世界を変えてやりたいのです。

変えてやりたいのです、世界なんて自分のすぐ近くまわりのことだ、ちっぽけだけど、でもそれが全てです。
でももしも必要であるならば、やさしさひとつで世界をぶっ壊してやることだってできるのです。 

 

 

追記

あ、わたしお茄子、お茄子だけで幸せになれるすごい。あんなに嫌いだったのに茄子の煮浸しほんとうまい大好きハッピーおやすみなさい

 

 

がんばれ夏休み

夏休み始まって2日目、今日はぐったり寝てた体を起こして先生に言われた楽譜を2冊買いました、なんだかもうかなしいです、あーあ好きにならなきゃ

なんだかなんだか気づいていたけれど、ピアノが嫌いになりました、仕方のないことでしょうか、悲しいことです

気づいて悲しくて人がいるのにわんわん泣いてしまった帰り道を思い出しています

割り切るしかないのですが鍵盤の上で好き勝手に指が動く感覚も忘れてしまいました

こればっかりはどうしようもないのです褒められたかっただけなのだから

音楽は好きですがピアノはもうなんだか弾けないようですもちろん逃げです

わたしはもう1日1日とどんどんだめになる気がしていますどうしようもないのですここに書くくらいなのだから

 

 

このまま腐るくらいなら夏が終わる前に大学もやめてやる、そう思うくらいです、また逃げなくても済むくらい、帰るところなんか要らないくらい、よい友だちが出来るくらい、認めてほしいひとの前で嬉しくて泣きたくなるくらい、ストレスでハゲてもいいくらい、がんばれ夏休み 

水槽の部屋

今週の日記です

 

さかのぼります

 

 

7/27

春から放っておいていた髪の毛を切りました。‬
‪本当は堀越千史ちゃんみたいな髪型になりたいのに、美容師さんに「うわこいつ可愛い子の写真持ってきやがった」って思われるのを恐れすぎて、そして口下手な結果、とっても短くなるのは何回目か分からないです。‬
‪ともあれシャンプーがとっても楽だし、軽いし、おでこもさわさわして気持ちがいいです。‬

 

 リュックに今日の服のもようとおそろいのてんとう虫がとまった。なかよしだね〜。

 

 

 

 

7/26

朝起きて外に出たら、夏休みの匂いがしました。

夏の匂いじゃなくて、夏休みの匂い。

公民館前でのラジオ体操、寝ぐせを直さずに走る6時25分、朝はピアノのある部屋が涼しいこと、寝転んだ畳の匂い、水で滲んだプールカード、長かった髪の毛を切った仲良しの友達、今はもうなくなった遊園地のシャーベットのまあるいレバー、必ずお菓子を買いに寄る商店、毎日同じ具のおばあちゃんのみそ汁、ケヤキの木陰、水遊びしたあとだけのぬるいお風呂とワンピース、近所のおばあさんとこしかけて夕涼みをする土管の上、お母さんと夜の散歩、

をぜんぶ丁寧に引き出しにしまって、今日は靴を洗い外に並べ、布団とシーツを干して、お風呂の掃除をした。クリーニング屋さんにも行った。

今夜はふかふかの布団で眠れるのだ、とっても素晴らしい気持ちです。

 

ここで住むようになって2年半、20歳になって早くも半年たちようやく、生活するとはどういうことなのか、体感でなんとなく今さら分かってきました。家族と住もうがだれと暮らそうがひとりで過ごそうが、変わらないよね。

 

 

 

 

7/25

夕焼けがきれいでした。

燃えるみたいだった、岩手山が赤富士みたいだった。

わたしは生まれも育ちも日本海沿岸地域で、夕陽は海に沈むのが当たり前で、それがいちばん美しいと思ってる、今もだけれど、

それでも、海に沈む夕陽じゃなくてもこんなに真っ赤になることがあるし、夕焼けは夕焼けだなあと思ったのでした。知らなかった。住んでみないとわかりません。

 

次に住む家は海の見える部屋がいいなあといつも思っているけれど、たとえば盛岡であっても海が見えるのならありかもしれない。どうかな。盛岡市内で海の見える部屋だといったい何階建てに住めばいいのでしょう。あほだな。