やさしさ

今までわたしは「やさしさ」について考えていることが多かったな。やさしくなりたくて。

 

実家の祖母はわたしのことをよく優しい子だと言って褒めてくれたり友人や親戚に自慢してくれたりしたんだけれど、それはどうだったんだろうか。

「優しい」は「優れる」という字を書くのだな。

嬉しかったけれど、褒められたいから、がいちばん大きな理由で、子どもみたいな理由だけれど、まあ子どもっぽいし、実際あの家でわたしは子どもだったのだし、それよりもふたつ上の高校生の姉が祖母に冷たく振る舞う様子を見下して、正反対のことをしていたように思う。そのせいで余計に祖母はわたしのことを褒めたのだと思うけれど。

 

だからわたしにとってあの頃「人に優しく振る舞うこと」はもはや当てつけだった。中学校でもわたしは同級生に対して馬鹿みたいに優しかった。なんて厄介な反抗期なんだよと思うけれど、もうどうでもよかったのだと思う。優しく振る舞ったってそれを返してくれる人なんかいなかった。きっとまわりはわたしのことを「優しい」だなんて一度も思ったことがなかったんだろうな。気の弱い、とも思わなかったんだろう。だいたいは仇で返された。周りにはやさしくない人ばかりで、頭の悪い同級生ばかりで、だからわたしは仕方がないので、逃げるという選択肢を得て、逃げた。地元の人たちなんかみんな嫌いだった。

どいつもこいつも馬鹿ばっかり。優しくしていた相手に対してそんなことを考えながら過ごしていた。

 

だからわたしは本当はやさしくなかったと思うし、優しく振る舞える自分のことが好きなだけだった。その頃からもう自分の世界はぐらぐらに歪んで、やさしいということなんか何も分からなかった。やさしくなりたかった、誰のためというわけでもなくやさしくなりたかった。けれど、誰のためにやさしくなりたかったのか分からなかったので、自分からなりたいものを遠ざけていたような気もする。

 

やさしい人が好きだ、人を踏みにじらないような人が。なんなら人じゃなくていいし、星や川や花のほうがやさしいなと思う日もあるし、海が気持ちのどこかにあれば、もうそれでいいかな、と思う。でも、やっぱりやさしい人が好きだ。

 

 

まだ、やさしい人になれるかしらなあ。やさしくなるにはどうしたらよいのかなあ。この秋くらいまで、そんなことばかりずっとずっと考えていた。

 

今年の

 

初滑り。

昨日から雪が降って、積もった。昨日は一日中ずっと灰色の空で、雪。昨晩もどさどさ降ってたな。

 

夜が明けて朝、家を出たらきもちよく晴れて青、下は白で眩しくて、あまりに眩しいので地下道を通る頃には見えるものすべてが緑色でした。ぐらぐらに目が眩んでいるということなのですが。

 

ところで初滑り、別にスキーやスケートのことではなく、道路での話で、

急いでいたからなのか、目が眩んでいたからなのか、買ったばかりの文庫本に目を落としながら歩いていたからなのか、はたまた買ったばかりのビーンブーツを過信していたからなのか、横断歩道ですってりと転んでしまいました、無念。

 

サラリーマン×2にチラ見されるなか、ちょうど後ろにいたでかいエナメルバッグを背負った(たぶんバレーボールが入っているやつ)おばちゃんが大丈夫かと声をかけてくれ、泣きそうになる朝。起き上がり前を向くと、わたしを追い越し2、3歩前をゆくエナメルバッグおばちゃんもなんとすってり転んだのです。別にふつうに滑っただけだと思うけれど、何故か涙が出てくる午前10時25分。

 

わたしはこれから前をゆく人が滑って転んでしまったら、黙って追い越し2、3歩先でひとりすってり転ぼうと心に決めたのでした。

スカーレット

 

きのう朝、初雪が降ったらしい。今年も初雪を見ることができないでしまいました。

去年は11月のはじめにはもう雪が降っていたみたい、今年は冬が来るのが遅いのかな。

とはいえ、北を見ればもう岩手山の頂上には雪が積もり、自転車をこぐと顔が冷たくてぴりぴりする、空もくらい色の日が増えてきたな。

 

冬も好きだなあ、なんだか。冬生まれなもので。

なんにもまわりの音が聴こえなくなるような、脳みそまでぴりぴり麻痺してしまうような寒さとか、モノクロの町とか、首もとに入ってくる雪を諦めて受け入れたりとか、雪がたくさん降った夜の明けきらない杉の木を見てしまったりとか、音かな。冬は音が好きです。クロニクルのStockholmみたいな。

 

ところでわたしが冬を好きな理由には、終わりという意味合いが強いことがあると思います。あくまでわたしの中での意味合いだけれども。1年の終わり、命の終わり、色たちの終わり、終わりという言葉を使わないでひっそりと、まっしろでぜんぶを包むので、冬は案外やさしいのかもしれません。

ただ、冬もどこかで終わり、終わりが終わるって不思議だなあ。終わりが終わってくれるものなんて、季節くらいなもので、だからこそこんなに寒くても東北が好きで、北国への憧れが絶えないのかもしれません。

 

前に、最近のスピッツは終わりのことを歌っているとここに書いたけれど、それでもまったく寂しい気がしないのは、いいや。これはもうすこし考えとこ。

 

冬を楽しめるようにすてきなワンピースを買ったので早くまた雪が降ればいいなあと思います。

 

最近なんだか思うことは、人目を惹く話をするには、手っ取り早い悪者がいなくてはならないのだということです。

 

学校、先生、老人、医者、総理大臣、政治、具体的になったけれど、なんでもいいし誰でもいいのです。みんなから疎まれる要素のある人なら誰でも悪者にしてもいいのです。そうでしょ、気づいてないだけであなたたちはそういう話をしてるよ。

 

あなたたちが真面目な顔で社会問題を考えてるふりしても、ほんとうはただ毎日毎日決まりきったあらすじの楽しくない絵本を読んでるのと同じです。オオカミや鬼や怪獣はいくら1人でも、ひどい殺され方をしても、誰も文句を言わないのです。だってオオカミの事情なんて絵本の中では必要とされていないのだからね。

 

結局だれでも、語りというものは主観です。これはあたりまえのことだけれど、印象操作であったり、他人を貶めて自分を上げようとしているのが見えてしまっていたりする話は、たとえ弱者の味方でありヒーローであっても嫌悪感をおぼえます。おかしい、狂っているとさえ思います。

目をつむるとはどういうことかを考えているよ。自分で考えられなくなったらそれはもう見えていないのと同じです。

 

たとえ悲しくてもやさしい話のほうがずっとずっといい。わたしはパンクなので、反骨精神に、抗いつづけます。聞く者を焚きつける話をする人間のことをわたしは一切信用していません。やさしくない人をわたしの領域には絶対に踏み入れさせないぞと思っています。

 

 

何か思想みたいな話をするのは好きではないけれど、これはわたしに言い聞かせるためのものです。

オオカミに、なりたくないです。でも、わたしはオオカミのほうがいいのです。

Travel Agency

 

最近どうにもシャムキャッツに恋してしまったようなのでシャムキャッツの話をします。

 

 

 

名前がかわいいのと、わたしがフジファブリックを好きになったきっかけの人がシャムキャッツいいな〜〜と常日頃から言っていたのでずっと気になっていて、ユーチューブでなんとなくMVをチラ見したり布団でねっころがりながら曲を聴いたり。

 

すてねこが好きでした。「ボーカルの夏目くんだっけ?声がとっても好きだけどヘンな髪型ね〜〜」くらいの気持ちでずっといた、のだけれど、

 

 

 

先週末、友達に誘われて10月8日秋田の大曲にある美容室matouでのライブに行ったわたしはシャムキャッツに恋してしまうのでした。

 

まず行ってみたら会場前の道路でシャムキャッツが4人なかよくサッカーしてるのね。外にはちょっぴりごはんや飲み物が売ってたりイスが置いてあったりみんながおしゃべりしてたり。なんだこの空間。内輪みたいな雰囲気はふだんすごく毛嫌いするし苦手なのですが、なんだかふしぎとあったかかったです。

 

 

 

ライブはHi,how are you?原田さんとの対バンのかたちで、原田さんもすごく良かった。なんか懐かしい感じが。あとキャラクターがすごかった、最前で見る勇気は持てないかんじの人でした。好きです。

 

 

 

シャムキャッツは4人おそろいの黒いシャツ着ててかわいかったです。

美容室なので50人くらいしか入らなくて(キャパ50とかはじめて!)、ユーチューブでずっと見ていた夏目くんが超目の前にいる!!!の状態で微妙にパニック。おかげで外で売ってたチャイの味がしなかったです。舌もやけどした。

 

 

ライブはもう、とっても良かったです。夏目くんのとろけるような歌声にめろめろでした、もうこのつま先まで🍋

菅原さんのやさしい声も下から重なってくる夏目くんの声もとっても心地よくて、しあわせでした。すんごく心地よかったです。

マイガール歌ってるとき夏目くん楽しそうだったなあ。もう夏目くんにどきどきしてんのかシャムキャッツの音楽にどきどきしてんのか分かんない。全部だろうけど。

 

 

アンコールで原田さんとコラボしてサニーを歌ってくれて、とっても楽しかったです。にこにこしちゃうね。

 

 

 

ちゃっかり(だいぶパニックだった)ライブ後夏目くんに話しかけて、買ったばかりのFriends againにサインをしてもらい、さらに握手までしてもらったわたしはゴキゲンの帰り道でした。

 

 

 

 

 

 

あれから毎日毎日シャムキャッツを聴いているわたしですが、運命だったんじゃないかと思ってしまうくらい、わたしのいつもの生活にすっと入ってくるようでふしぎです。

 

なんでもない普通の日の、なんでもないようなちょっぴり嬉しいこと、雨上がりに虹が出た、よりもささいなヘンテコなゴキゲンな嬉しいこと。たとえばさっきすれ違った自転車の中学生の男の子がびっくりするくらいニコニコだったとか、歩いていたら目の前にカマキリが降ってきて寸前で止まれた、とか、友達がわたしのあげたくつ下を履いていた、とか。

 

日記に書くまでもない、人に教えるまでもない普通のわたしの生活の一部をつい笑っちゃうあたたかな旅に変えてくれる、普通の日がなんとなく好きになれる、そんなシャムキャッツのとりこになってしまったみたいです。

これからよろしくねシャムキャッツ。また会いに行きます。

 

 

 

 

 

余談ですがシャムキャッツを聴いていると一人称を"ぼく"にしたくなります。男の子になりたいなあという気持ちをずるずるひっぱり出してくる、彼らのもつ少年っぽさかなあ。

(ただてっきり20代半ばくらいだと思っていたら全員32歳らしくておどろきました。)