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めんそーれ

 

 5月27日はわたしにとって大事な子の誕生日で、はじめて連絡を取った。今まで16年ほど、会わなければ話さなかった、今年の1月にやっと連絡先を聞いたくらい。それが今までのわたしにとっては良いことだったかもしれないし、それでもわたしたちは変わるから、今なら大丈夫だと思った。

元気そうかな、わからないけど、良かった。ほんとうに良かった。

唯一のいちばん古くからの友達かもしれない。いまより近くもならなくていいし、上手に話せないからそれでいいから、あの子の人生の節目には少しだけわたしが居たい。と思うことは傲慢かしら。重いな。とても重い。笑

こちらは通常運転ということでひとつ。

 

 

 

 

そんなことがあったからか、なんとなく誰かと話がしたくなって、缶を片手にぼそぼそと、ちょっとしゃべりすぎたなあ。わたしたちもどんどん変わるね。大学で友達ができて良かった。

コンビニで売ってたパイナップルのお酒、昔食べたアンパンマンアイスの味だった。久しぶりアンパンマン、わたし大人になりました。とっても悲しいことです。

 

 

考えてたら朝になってきた。今週こそ人間の生活をしたい、する、がんばる。

良い週末だったな。からだがあったかい。おやすみなさい

 

 

やがてくる大好きな季節

 

ちょうど1年くらい前にも書いたけれど、おだまきという花が好き、たぶんいちばん好き、桜よりもタンポポよりも月見草よりもシクラメンよりも好き。

ふりふりした背の高いものや、赤っぽいスイセンに似た亜種もあるけど、わたしが好きなのは背の少し低い藍色のシンプルなもので、原産はどこなのか分からないけど見た目がすごく日本画みたいでしょ、激烈しっくり感。激烈しっくり感って、語感がすごいね。

この季節はどこの家の軒下にもだいたい咲いていて、きれいね。たくさんある若い緑とはちがう青っぽくて薄い色の葉も、雨や灰色の空とよく似合うから日本ぽいのかなあ。生活に馴染む花の方が好きだな。

 

新しい素敵な青い腕時計や大好きなミントグリーン色の服や捲ったズボン、ひょっこり戻ってきた自転車や短く切った前髪に気分がもこもこする。みんなわたしの初夏のための味方だ。

今年はもしかして上手に生きられるかもしれない。

というのも、初夏がいちばん好きなのにあまりのエネルギーに毎年負けてしまうからで、今年はちゃんとしたいね、やろうね。

 

ともだち、少ないけれど、最近はともだちと話ができるととっても嬉しい。そのまんまもう、嬉しい。ともだちにそばにいてほしいだけです。ぬるい風だったりさらさらしたTシャツだったりシャンプーの匂いだったり、よい初夏にしたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

緑のトンネル抜けて

 

 

春と初夏のあいだの季節、こんな季節もあったっけ、すっかり忘れてた。スピッツのアルバム、ハチミツがちょうど似合ういい季節です。

 

植物だってそれぞれなんだからいろんな色の身体や葉っぱをしているはずなのに、この季節はどれも同じ色をしているので、若い緑色に飲み込まれそうな道を歩いて学校へ行きます。いい季節です。

雨でもいいです。

 

 

最近は歯車が少しずつ噛み合わないような感じだけど、これはあくまで初夏への準備ということで、そのうち噛み合ってくれるのでしょうか。だめかも。

 

考えれば考えるほど負けていくので〜〜〜〜〜〜〜〜もうやめ!やめろ!やめだ!

 

 

だけど、少しずついつも違う道を歩くのが小さな楽しみです。

 

 

 

 

 

 

終わる冬へ

 

今はもう無くなった母校の小学校の校舎の1階音楽室、昼休みのピアノの椅子の上がわたしの特等席だった頃、窓にもたれかかってひとりで雪を見てるのが好きだった。

 

 

 

 

 

 

 

クリーム色の、ひび割れが目立つようになった校舎の壁に冬のつめたい風が遮られて、ゆっくり落ちてくる雪を真下から見上げた。たった20分程度のお昼休み、あっという間のお昼休みだけれど、この部屋だけ、たったひとりで音楽室のピアノの前にいる時だけ、時間は止まっているみたい。

廊下に出てすぐの角を曲がったころにある体育館の喧騒もここには遠くの世界の話で、それがとても心地いい。古い校舎は未だに電気暖炉のようなストーブを使っていて、天井から窓に向けて煙突がへびのように部屋の中を這っている。小学校の音楽室ではめずらしく、有名な作曲家たちの肖像画も飾っていなくて、学校の怪談のたぐいが苦手なわたしでもこの部屋はぜんぜんこわくない。

 

トーブの音を聴きながら、すこし眠たくなってきた。落ちてくる雪を見飽きたら、いま習っているお気に入りの曲を弾こう。職員室にまでわたしのピアノが聞こえていると知っているけれど、先生はなにも言わない。きっとだれも邪魔しに来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

冬になるともう一度あのゆっくり落ちてくる雪が見たくなる。あの場所で以外、あんなにゆっくりと落ちてくる雪を見たことがない。

無くなった校舎の跡地は、思っていたよりもずっと小さくて、できるだけ忘れないようにと、もう跡地に足を踏み入れなかった。

 

 

冬が来て歳を取って、わたしたちは大人になろうとしていて、そして子どもの頃のわだかまりに終止符を打とうとしたかった。

 

成人式で久しぶりに会ったあの子とは、高校時代の朝の始発電車みたいにすんなり隣に座った、だんだんお母さんに似てきていた気がする、思わず笑ってしまった。 溜めていた気持ちみたいなとりとめのない話をしようとしたけれど、なんだか忘れた。いいや、めでたい日だし、いまさらどうこう、なんだか圧倒的にくだらない。

秋田ではめずらしく晴れてた、いい天気の日だった。

 

同級会で幼馴染とも話した、ずっと昔はいちばんの仲良しの自信があった。小さくて立派な冒険はなによりも楽しかった。学校に来なくなって、ちょうど私たちは男の子と女の子になる時期だったので距離が開いてしまって、話もしないままあいつが嫌われものになっていくのが悲しかった。ひと言だけ、ずっと後悔して謝りたかった時の話をしてみたけれど、やっぱりもちろん覚えているはずもなかった。それならそれでよいけれど、迷惑だったかなあと、なんだか気が抜けたのと、途端になんだかいつまでもわたしの自己満足を満たすためだけだったんだなあと、がっくりして疲れた1日だった。もう誰とも会いたくないなあ。

 

 成人式はもう二度と会わないための儀式のような気がした、実際、会ったって話すこともないような気がする。それならわざわざ5年後みたいにしなくてもいいのにね、もう少し、たいせつにしていたおもちゃ箱をていねいに底までひっくり返すようなかわいい話をしたかった。でも仕方がないね。

 

 

 

 

 今年ももうすぐ冬が終わる。

似たような冬を何度も何度も過ごしているけれど、でもやっぱり少しずつ少しずつ、きっと春が来るみたいに大人になるのだと思った。

終わる冬を想うとき、いつでもあの時間を思い出そう。

 

 

初恋に捧ぐ

 

 

全ての初恋に捧げる

今、僕はぴくりとも動かなくなった愛車の前で途方に暮れている。動かない車ほどみじめな物は無い。渋滞にはまったレッカー車を果てしなく待つ。通りすがる車が邪魔だとクラクションを鳴らす。足元には無数の吸い殻。「どう仕様も無い」という状態はまさにこの事だ。世の中には「どう仕様も無い」事がいっぱいで、その連続の中に僕らは生きている。

 西山君が突然いなくなった。僕はただ、揺るぎ無い事実を噛み締める事しか出来ない。「どう仕様も無」かった。締め切りが間近に迫ったこのライナーノーツの事をふと思い出した。幾度となく書き直しては捨てた。何を書くべきか定まらなかった。煮詰まっていた。「どう仕様も無い」のだ。

 結局、僕にとっては初恋の嵐のアルバム、それだけで完璧だ。僕が書き足す事なんて何も無いよ。このアルバムを手にした人々の心に、それぞれ違った初恋の嵐が育ってゆけばいいと思っている。

 この場を借りて言いたい僕の望みはただひとつ、とにかくこのアルバムを楽しんで欲しい。この作品はあらかじめ悲しいストーリーの元に語られる運命を背負っているが、そんな話は抜きにして、この極めて純度の高い奇跡的なロックンロールに、素直に耳を傾けて欲しい。西山君の剥き出しのメッセージは、あらゆるイマジネーションを喚起させてくれる筈だ。ある若者にとっては音楽を始める切っ掛けとなるかも知れない。それはその人なりの楽しみ方だと思う。生前の西山君を知る人は激しく嗚咽するかも知れない。語弊があるかも知れないが、それもまたその人なりの楽しみ方だと思う。またこの作品を真っ向から否定する事だって、ひとつの楽しみ方だと僕は思う。嬉しい事も悲しい事むかつく事も、全て並列の感情として楽しんで欲しい。

 結ばれる事をあらかじめ諦めている初恋、みたいな、「どう仕様も無い」出来事に翻弄され続ける日々の、ほんのひとかけらとして、このアルバムが長らく享受される事を望んで止まない。そんなかけらの積み重ねで、僕らはそれぞれに、少しずつ大人になってゆく。

                            - 土橋輝志

 

 

 わたしが高校生の時からずっと好きなアルバム、初恋の嵐のファーストアルバム「初恋に捧ぐ」のライナーノーツです。

 

3月2日、初恋の嵐ボーカルギター西山達郎の命日に、彼のことをどうしても書きたくなって、なんども聴いたアルバムの、なんども読んだこのライナーノーツを久しぶりに開いた。そしたら、ああ、これはきっとわたしの言いたいことが、そのまんまだ、と思った。

 

人の命日は、その人のことを忘れないためのものだと思う。今日だけ、どうかすこしだけでもいいから彼の生きた証のような、「どう仕様も無い」ものを感じたくて、聴いてほしかった。

 

 夏のはじめの、うだるような夜に眠気の奥で聴いたこのアルバムの、やるせない恋のような、途方もない不安のような気持ちが今も鮮明に思い出せるような気がして、

 

今年の夏に活動休止してしまう初恋の嵐の、音楽だけはいつまでも鳴り止まないでほしいと願いながら今夜は円盤をまわします。