お目目がまんまる

暑いです。6月なのにショートパンツを履いてしまってこれからの夏を憂いているし見た目が完全になんか小学生です。

 

わりと前からある透明な味つき飲料のたぐい、あれはまやかしだ!と強く強く思っていたので実はヨーグルト味のアレもミルクティー味のアレも、もちろんクリームソーダ味のアレだって飲んだことのなかったわたしです。

 

大学の購買で、「話題の透明なドリンクを2本購入で、ミッフィートートバッグが付いてくる!」というこれまたまやかしみたいなものに負けて遂に買いました。もうめちゃくちゃにマズいので泣きそうになっています。この世はすべてまやかしですが、ミッフィーブルーナが大好きです。あっダメだ本気でマズい

冷たいレモンと炭酸のやつ

 

5月が大好きです。晴れが多い季節、雨も嫌いじゃない。花がいっせいに咲き出す季節で雨の日は花の匂いがむわっとするのが好き。特に帰り道の雨は濡れても歩きたい。金魚みたいな、雨に濡れた赤と黄色の花が今年も同じところに咲いていた。

 

5月に聴きたくなる歌がきっとわたしはすごく好きだ、昔から5月の空がいちばん青くて好きだった。実家のこいのぼりが町でいちばん悠々とのびのびと泳いでいたように見えたのが自慢だったのを覚えている、今はどこにあるんだろう。

 

なんというかわたしは、のびのびと生きたい。5月の空を泳ぐみたいに余裕な顔して高いところに登って風に乗って楽しいことを探したい。自分のご機嫌は自分で取るんだよ。

晴れの日がうれしい、すごく楽しい、好きな花が散るのが少しさみしい、朝が早くなることになんだかワクワクする、好きなものを教えたい、へんなの見つけた、楽しいものを伝えたい、とか、楽しいことをどんどん探したい。わたしの目はわたしの好きを見つけるために付いているのです。

 

誰かがご機嫌取ってくれなきゃやってらんないなんて、そんな生活は御免こうむるよ。ひとりの時間だってわたしにはたくさん発見も好きもある楽しい時間だ。楽しいこと探そう、見つけたらたくさん教えあいたいな、といつでも思います。

 

5月にどんなパワーがあるのかしら、なんだか最近はテンションがとにかく高くて疲れてしまうみたい。小さなことで無駄にすごく楽しくなったりすごく怒ったりしている。これも五月病の一種なのかな、そんな症状聞いたことないけれど。

 

きちんとすることと窮屈にすることは似てるようだけどとんでもなく全く違うな。がんばることがたくさんあるぞ。

ひとあし長い朝

あたたかい日だった。ざわざわした緑色が目に入ってきてなんだか不思議な気持ちになる。たぎるぜ。風はすこし冷たかったけど気持ちがよかった。昨日が暗くて寒かったせいもあるのかもしれないけれど、夕方、窓から長くなった影と通行人をぼんやり見ながら、わたしは今日みたいな、まさにこの季節を長い間ずっとずっと待っていたんだ、なんて大袈裟なことを考えています。

 

 

 

連休は楽しかった。いろいろなところに行った。こんなにいろいろなところに行った春は無かったと思う。すごい。

 

 

秋田の実家に帰った。家族がそろってうれしかった。

 

実家はだれの湯加減なのか分からないけれどお風呂の温度が高くてとっても熱い。久しぶりのわたしは慣れずに3日目の夜、のぼせてお風呂で気を失って倒れてしまった。幸いおしりから湯船に突っ込んだせいで、背中を壁に打ちつけたものの怪我には至らず、脱衣所からお母さんが血相変えて駆け込んできた(らしい)のでかなり無事だったのだけれど、そのせいであることを思い出した。

 

 

 

中学3年生の時、丁度この季節、となりのクラスの男子がお風呂で亡くなってしまった。死因は結局よく分からなかったんだっけ。小野くんという名前で、同じクラスになったことはなかったけれど、保育園が一緒だった。保育園のころは給食を食べるのが苦手だったのを覚えている。朝は生徒玄関をくぐった瞬間から空気が違っていてどうしたらいいか分からなかった、同じ小学校だった女子たちがみんな泣いていて、先生も目を真っ赤にしていたような気がする、悲しいとか悔しいとか言うよりはただなんだかこの歳で死ぬ事があるんだとびっくりしてしまったし。修学旅行の2日前だった。

 

高校の時飼っていた犬が、子犬のまま病気で死んでしまったのもよく考えたら5月だった。実家に帰った時お墓を見に行ったら水仙が飾ってあった。あんまりまだ人の死に立ち会ったことがないのだけれど、でも祖母方のひいおばあさんが死んだのも優しくしてくれた近所のおじいさんが死んだのも春だったっけ。

 

そういえば小野くんのお父さんは町のレストランで働いてた、お母さんも同じく町の衣類工場で働いてたけどやめたんだったかな。あれからもう7年も経ったけどどうしてるかしらなあ。

 

 

 

5月生まれがうらやましいわたしは、自転車をこいでくるりを聴きながら、溢れかえるような生命力に紛れるみたく、ふわっと風に乗って、もしここから消えるならわたしもきっとこんな季節だなあと不謹慎かつ物騒なことを考えてしまいます。いや、消えませんよ。消えても残るものになりたい、ので、それになれるまで出来るだけ楽しく出来るだけ長くここにいたい。

 

 

最近よく昔のことを思い出す、懐かしいことはわたしをここじゃない眩しいとこに連れてってくれるけど、懐かしいということはかならずしも良いことではないなと気付いた。麻薬みたいなもんなのかも、でも死ぬまでまぶたの裏に映されるあの景色たちが消えないでいてほしい、むずかしい苦しいと思うことが増えるたびに今の景色たちも焼き付けなければ、と躍起になってしまうようです。

 

口笛

海が好きなのに、なんとなくいつも海には届かないなあとか遠い存在だなあとか、とにかく引け目を感じてしまう。

 

わたしは海に対して特になにか深い思い入れや忘れられない思い出がある訳ではなく、泳げるわけでもなく日にも焼けたくなく、ただ母の実家で寝るときに聴こえる夜の海の音が好きだったな、くらいのもので、そんな感じ。盛岡に住み始めてからは、位置的に日本海沿岸出身を名乗っているけれど、むしろわたしが育った町は海まで車で農道を走らせ10分、実家の庭からは360度見回しても必ず山がある、みたいなところだったので、近い気がするのにそんなに海は身近じゃなかった。歩いては行けなかった。 

 

海から100キロメートル離れた町で海を思うことはなんだか安心する。正確にこの気持ちを言い表すのならたぶん少し違うのだけれど、なんとなく、他人事の気分だ。芸能人のだれそれをフルネーム呼び捨てで好きと言う、みたいな感じと似ているかも。近づいたら近づいたで気持ちが落ち着かないので海とは上手な距離の保ちかたがわからない。

 

海にこだわる必要なんか本当のところはどこにも無かったんだけれど、3年前、心の拠り所を持てないままふらふら住んだ町でたったひとり、新しいことや人、環境に馴染めず、苦しい過去の繰り返しのような気がしてかなしくて心がもみくちゃになって困っていたら、ちょうど理由をつけて遠く恋しがるものが出来た、くらいの話だったのかもしれない。

 

いや、やめよう。好きなら好きでいいのに、ごったごたと無意味に言葉を並べて、こんな風に変な気分にわざわざ自分からなることない。心に芯が無く空っぽなら、別にそこに海を流し込んだっていいのに。過去ばっかり掘り返して自分でやってて少し馬鹿馬鹿しくなる。いつもそう。春が来るすこし前の日本海って静かで、色が暗くてさみしい。

 

 

 

 

ただのコンテンツにしてはいけないものがあると思った。でもどうしたらいいか分からない。何ができるんだろう。また言葉にできないものが増えていくな。日記もだんだん書けなくなってきた。でも言いたいことなんか何もないと思うにはまだまだ遠く、知らなくちゃならない事ばかりだ。正解はないけれど、わたしの視界に入るものすべてに濁りのない目を向けたい。風通しをよくしたい。東北の春が今年もあたたかいといいな。

それでも覗きこむのさ

 今年は冬がすごく寒かったので、春の兆しがこんなにもうれしい。

と思っていたら、なんだかまたしとしとの雨はいつの間にか雪に変わっていたり、とけかけの雪道でしっかりすべって転んだりしている。もどかしいなあ、三寒四温というやつかしら。

この町に住んで3年が経った。この冬が今まででいちばん寒い。関東の梅の開花をとてもうらやましく思う最近です。

 

2月はなんだかずっとどんよりした気持ちで居てしまった(あと13年ぶりにインフルエンザにかかってしんどかった)。そしていつの間にか21歳になってしまっていた。自分のできない事に対して誠実じゃなくなってきた。友達との話し方がなんだかよく分からなくなってきた。勝手に距離を感じてぎこちない行動を取ってしまうような気がする。しかしもう進路の悩みや体調不良が少しふっきれて元気になってきた。なんだかいろいろと佳境です。佳境って言いたいだけ。元気もりもり。おう。やってやんぞ。

 

3月初めの土日、春の匂いがしそうだった(しなかった)。白鳥がどんどん北へ帰っていく。夕暮れの色がやさしい。空を見上げることが増えた。

 

 

 気づけば冬至は遠くへ、立春も過ぎて春分の日のほうが近くなっていた。わたしはどの季節もわりと好きだし、どの季節も少しずつ苦手だ。ただ、季節が過ぎていくことがなんだかせつなくてそれがとても楽しい。きゅるきゅるする。目の奥がぐるぐるもする。

 

早く夜の帰り道が気持ちいい季節になってほしいです。だれかの家の前を通ったとき一瞬だけする自分とは違うせっけんの匂いが大好き。

 

3月は花を育て始めます。よい冬の終わりを。