桜の季節過ぎたら

桜ってなんかファンファーレみたいだね。

桜が散りはじめて、花がぶわわ〜と咲いて、うれしくて顔がにやけてしまう!これから来る5月や6月のこと考えてたらうれしくてたまらなくなってきた!

 

今年も、いや今年はさらにたくさん遊んで楽しいことして友達といっぱい笑うぞ、などということを毎年毎年思っています。健康第一に。死ぬまで健康で楽しくいたい。転勤して仕事がさらにきついので精神衛生の管理を他に丸投げしはじめました。寄りかかりすぎないように…。楽しく過ごすぞ〜。もう楽しいよ。

伸びる日を待つ

 たくさんの人に対して、「会いたいね」が口癖になってしまったここ2年ほど、君の今には今のわたししか会えない、みたいなことを、すっかりすっぽり忘れてしまっていた。勿論立場も職場の事情もあるし、簡単じゃないけど、わたしには会いたい人がいろんなところにたくさんたくさんいて、それがとても幸せだということ、いつでも会いに行ける、行ってしまう自分の気軽さと身軽さが大好きだったことを少し思い出したよ。

 

 生活や環境が変わり続ける中で遠くなってしまった人とは努力しないと関係が続けられなかったり、それでもなかなか会えなかったりするよね、でもそういう努力を怠りたくないなと思った年末です。努力が必要って、なにもマイナスな話に限ったことではないしね。結局自分のためだなとか自己満足の世界だなとかはいろいろあるのだけれど、そんなこと言っていたら、今一緒に(わたしが)居たい人と居ることに、もっともらしい理由が必要みたいで、かなり情けないよね。

 

 本当に心苦しい世の中で、でも、久しぶりに友達に会えたこと、ものすごくうれしかった!泣きたくなるくらいうれしかった!

 

 絶対にとも誓えないし、全部大丈夫になるとも言わないけれど、少しでも好きな人のために何かができる自分でありたいぜ、2021年末。

 

 冬至が過ぎてまた日が一刻一刻と伸びていくのを待つ生活がはじまり、日々じわじわと嬉しいです。寒くなったって平気だよ。嘘です。ちょっと心が折れそうなので極暖ヒートテックを買い足しました。なんだか、待つだけではだめなのだ、と少しずつ思い始めている、いや、気づかないふりをしていたのをやめなきゃなと思い始めている冬です。伸びる日を追いかけて追い越すくらいの気持ちで!やったれ!おれ!

 

 

鏡をみつめる

 なんだか、もっと素敵な人になれると思った。年に一度くらいはいつもそう思うんだ。もっと前に。もっと後ろに。もっと高く。もっと這いつくばって。そんで、もっともっと素敵な人になる。

 

 大丈夫、大丈夫、いいのいいのってよく言う。子どもは、わたしがよく言う言葉を真似するようになった。

 鏡なんだ。半年経って初めて気付いた時にドキッとした。正直ここまでと思っていなかった。子どもたちをみつめる時、わたしの中まで、奥まで見られているような気持ちになる。こんにちは、ありがとう、ごめんね、大丈夫だよ。あなたが大切だよ、大好きだよって、たくさん伝えなければ。まっすぐ、見つめなければ。

 

 自暴自棄も怒りも悪いことだと全然思わない。白鳥の声に嬉しくなっても泣きたくなる日は決して減らない。でももっと素敵になるんだ。めげてる暇はないんだよ。もっともっと素敵に。明るく、朗らかに、穏やかに、強く、そして大切な人と一緒がいい。

暑い夏

 誰にでも好かれたい。みんながわたしに優しくしてほしい。みんなわたしを見てくれよ〜。

こんなことばっかり考えるようになってしまった。政治は最悪、世の中も最悪、苦し過ぎることがたくさんあるが、わたしは蚊帳の外気分でいる。蚊帳の外でいいのか。いいんじゃない、自分がよければなんでもいいんじゃない。考えたくないわたしが耳元でわあわあ言っている。じゃ、いいかあ。毎日を過ごしている。

 

 18歳だったわたしが24歳のわたしを見たらどう思うだろうな。わたしは今そばにいてくれる人やわたしを好きでいてくれる人が全員背を向けていなくなる夢を見るよ。

 

 やさしくなりたかったことを忘れていた。でもそれだって自己満足のやさしいふりだったはずだ。それでも、ふりさえも忘れたらどうにもならないよな。

 

 いつも、自分のことが大好きというポーズをとっているんだけど、泣きたくなるくらい正反対のことを思っているよ。自分を好意的に思ってくれている人達、または自分を好きな人に、のしかかってしか関係を築いていけないくせに、自分のことを好きな人を、この人何にも見えてないんだなと思ってしまうなどと、最悪な感じの日々です。だから自分のことを絶対に好きになってくれなさそうな人に執着してしまう。周りにいてくれる大切な人にこの自分の悪いところが絶対いつかバレるとわかっているのに、この悪循環の思考回路から抜け出せない。分かっています。自己肯定感を高めるみたいなことがこんなに難しいと思わなかった。根っこのじめっとした性分は付け焼き刃ではどうにもならない。どうにもならないなりにどうにかしないといけないよね。でも分からないのだ。きっといつか本当に誰かがわたしに背を向けるまで分からないのだ。

オーロラになれなかった人のために

 ここに書きたいことがほとんどなくなった。もともと手帳の隅にちまちまと書いていた日記のほかに、何かどうしても残しておきたくて18歳のときに始めてみたブログだった。24歳になっていた。岩手に住み始めて7回目の春だ。

 

 もともと、大人になるのが怖い気持ちをつらつら呟いていた。友達は、それを歌にしたらいいんだよと言ってくれたけれど、なんだかできなくてそれはしなかった。昔から頭でっかちだった。まわりの人たちが眩しくていいな〜と思ったこともここに書いた。その友達のことが好きだな〜ということもここに書いた。

 

 昔された苦しくて許せなかったことを、許したわけではないけれど、もう別にいいよと思えるようになった。十数年経って、相手がわたしにしたことを忘れて幸せそうになった頃に全部ぶち壊してやろうなどと思ったこともあったけれど、それのために生きるには途方もなくくだらなかった。もうよかった。負の気持ちは強いから、おばあちゃんになったわたしに呪いをかけると思った。いやだったから、ここで呪いをとくことにした。

 

 大切な人やものが離れてしまったらどうしよう、いつか必ず離れるだろうな、どうしようという気持ちも書いた。やっぱり会えなくなる人もいた。

 

 4月に入って、大好きでとても大切なおばあちゃんが亡くなった。すっかり痩せてしまっていた。秋田に帰るたびに、もう会えなくなるかもと思っていた。わたしに幸せな子ども時代をくれた人だった。もっと一緒にいたかった。

 

 2年前大学を卒業して、仕事を始めた。ずっとやってみたかった小学校の先生になれた。4年生、2年生、1年生、どの子達もかわいい。授業は下手くそで全然うまくいかない。1年目の秋、ごはんが作れなくなって、うまく眠れなくなって、部屋が片付けられなくなって、朝職員室についたら涙が出て、もう無理だと思うときもあったけど、大好きな友達が連れ出してくれたりお母さんが秋田から夜学校まで迎えに来たり、子どもがかわいかったり、まわりが助けてくれた。やっぱりまだ続けたい。

 

 まわりにいてくれる人がもっと大切になっていた。大切にしたい人がどんどん増えていく。その人たちともまたいつか離れるかもしれないなどと思っちゃうな。その考え方がさみしい。そばにいてくださいませ〜。

 

 同じことをぐるぐる思い続けているつもりでも、少しずつ変わっていくんだなと思った6年間だった。今までここに書いた6年間は大事だった、たまに覗きにきたりしながら、またぐるぐると生きていくぞ。