インディゴ・ブルー

 卒業前、最後の実習で小学校に来ている。毎朝寒いなあと思いながら出勤すると既に登校している子どもたちがカラフルな防寒着、カラフルな声で雪の上をころころ転げ回っていて、寒くてこわばっていた口がゆるむのを感じる。

 

 

 大寒も過ぎた。今は1年で1番寒い時期で、それでもこの時期を愛せてしまうのはやっぱり1番寒いからだ。1番寒いということはまたこれを機に冬が緩んでいくということで、1年の巡りのことを考えて心までまっさらで眩しい白になっています。こんな冬の晴れの朝は特別だ。

 

 

 わたしはやっぱりどの季節も好きだ。巡るから。季節はもちろん、わたしだって雪の中を転げまわった日があるし、あの子たちだっていつか同じ思いをするかもしれない。今だって雪の中や原っぱで転がり遊ぶことができるしかなり楽しいけれど、また違うことだよね、それは。

 

 

 

 晴れた11月の新潟の海、電車でうとうと寝ながら見ていたなとかそういうことを思い出したら、また1人でどこでも行ける気持ちになった。でもその話を聞いてくれる人たちがいるおかげで、わたしは今日が晴れてるだけで嬉しくて、生きていくためには周りにいてくれる太陽みたいないつもの人たちが必要だ。なんだかとってもありがたい。

 

 

 わたしは自分勝手に生きていて、周りの人がくれるやさしさとか気遣いとかも、くれるもんは遠慮せず全部もらう。そういうものだと思ってる。それでもいつでも自分勝手に生きてること忘れちゃいけないとも思ってる。いつもごめんねと思うけど、ありがとうは忘れず伝えたいね。

 

 

 嬉しくても怒っても、なんともなくてもすぐにすぐに泣いてしまうけれど、毎日自分の巡りのためのスイッチをいつでも探して歩いている。すぐ上空を飛ぶ白鳥とか、濃い青の空とか、小さい子どもの笑い声とか、近所の人へのこんにちはとか、全部祈りだ。まだ言ってるね、わたし。

明日から2月です。もうすぐ22歳になる。

Life is Party

 

せっかくだからとかいう言葉があんまり好きじゃない。イベント事とかもなんかこう、上手に乗り切れない。乗りたいわけでも反抗的にいたいわけでもないのだけれども。

 

最近まで気づかなかったけれど、わたしは自分の機嫌に対してかなり頑固だ。他はわりとどうでもよかったりするけれど、自分の機嫌を絶対に自分でコントロールしたい、他人に干渉されたくない。ご機嫌とりはとてもくだらないことだけど、さらに他人にご機嫌をとられることほどくだらないことは世の中にはない。他人の感情をうわべだけで無理やり変えようとする人、変えられると思っている人が世の中には少なからずいるのね。そういう人は嫌い。話が通じないもの。話をしていても無駄なことだ。

 

ただ、それに気づかないくらい今まで育ってきたなかで自分の感情を自由にさせてくれる人たちに恵まれてきたんだなと思ってかなり嬉しくなった。幸せものです。

 

そういう性分なのでイベント事に乗じて他人に思いを伝えるとかそういうことができない。ただ楽しいことやパーティーはかなり大好き、イベントとか言わず毎日やれ、と思う。

 

だから、きっと、やりたいことはすぐやって、思ったことはその時にすぐ伝えたらいいのだ。なかなかできない。来年はとか言わず今この時からがんばりたい。毎日がパーティーで毎日がバースデーで、毎日がわたしのための日で毎日が大好きな人たちのための日だといい。毎日がふつうのかなりいい日になることをわたしは祈りたい。こうしてる間にも朝はまだ暗くなる、でも夕方は長くなる、寒さはますけど巡る。がんばりましょう。

ちぐはぐな部品

 スピッツは、暗い部屋の中から見る夏の日なたとか、埃が舞ってる窓とか、早く起きすぎた朝の畳の匂いって感じ、いつでもそこにいるんだけどすごくよそよそしいんだよな、ということを考えていた。スピッツはわたしにとって世界にただひとつ、いつでも側にある、でもひんやりしたものだ。

 

 

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 こんなに天気のいい日だけど家でひとりゆっくりだらだらレコード回したり本をめくったり花を飾ったりしている。4年間で集めたCDやなんやかんやを整理してたら結構まあまあな量にはなっていて、これ来年の引っ越しめんどくさいな〜なんて思っている。

 それにしてもとっても贅沢な日曜日だ。でもこれ、わたし晴れた日しかこういうことできなくて、洗濯とかも、だから雨が続くと上手に生活ができなくなってしまう。

 

 

 できればからりと晴れたあたたかい秋が永遠に続いてほしいものです。そんで鈍行で田んぼとか眺めたり。

HOPE

昨日と今日、とっても気待ちのいい秋晴れの日だったので、ずっとずっと上を見ながら自転車をこいでいた。本当にずっとずっと上を見ていた。長い雨は夏を完全に連れ去ってしまったことがわかった。ついでに上を見ていてもだいたい自転車をこげて、家に帰れることもわかった。事故をおこしそうだったのでもうしない。

 

昨日はテレビーズを聴いて、スピッツを聴いて、カネコアヤノを聴いて、今日はシャムキャッツを聴いて、コモンビルを聴いて自転車をこいだ。あの日のこととか、違う日のこととか、去年とか、2年前とか、もっと前とかをたくさん思い出していた。晴れた秋はずっとずっと好きだ。毎日が晴れなら息がしやすいのになあ。

 

今月もまた1冊絵本を買った。これのおかげで毎月がたのしみになっている。小学校の頃は友達と上手く遊べなかったので家に帰ってひとり絵本ばっかり読んでいた。

友達、友達ってうわごとみたいにいつも言っていて馬鹿みたいだなあと我ながら思うけれど、本当にそうなんだよね。21歳になっても未だに、新しい友達ができた日の夜は頭から布団をかぶって泣いています、うれしいとかかなしいとかじゃなくて、もしかしたらそれもなのかな、わからないけど泣いてしまうな。いつもありがとう、思っているよりずっとずっとわたしはあなたたちのことが大好きで会いたくてたまらないです。

誰とすぐに会っても話ができるように準備運動しとかなくちゃ、だから好きな服を着て明日も家を出るよ。

手帳の書きそびれ

 

短い東京旅行へ行った、新木場サンセットに行くため、東京の友達に会うため。

 

東京に住んでる、同じ高校だった友達で、ほとんどわたしの一目惚れで仲良くなった。すごくいい子で一緒に歩くのが好きだ。待ち合わせのひと駅前の高円寺でひとり降りて散歩しながら喫茶店に向かった。ちょっとごちゃごちゃした朝の呑み屋通りが好きだ、インスタントカメラを持って歩いていたら窓から顔を出してるネコと目があった。

 喫茶店は、その日見るカネコアヤノのMVの撮影場所だったらしい、実際に働いてもいたとか、ほんとか、びっくりした。帰ってきてから知った、素敵な偶然だった。

 

仕事はどう、学校はどう、とか最近どう?とか、最近誰々に会っただとか、今年の夏の話とかしながらキラキラのクリームソーダを飲んでから、動物園に行った。

上野公園、でかかったなあ。動物もたくさんで、ああだこうだ言いながらひたすら歩いて、出るころにはくたくたになっていた。汗だくで、ベンチでふたり仲良く昼寝もしてしまったし、でもたのしかった〜。

 

もうちょっとゆっくりできたらよかった。よく高校から駅に向かう道を話しながら歩いていたの思い出した、また遊びたいなあ。またね。

 

 

 

 友達と別れ新木場に降りたったら、こんどは駅前のコンビニで去年の夏スピッツのために一緒に香川旅行した子にばったり、なんて偶然だ!というか、お互いにやっぱりお前がいたか!と大笑いした。お互いに相変わらずだ。遠くに住んでるけど高校の頃からの付き合いだ、一個下の子で、何故かパイセン呼ばわりされている。偶然が素敵を呼びまくるいい日だなあ。

 

 

 

ライブも最高だった、まちがいなくあの夜世界で1番素敵な場所だったと思う。

 

カネコアヤノのバンドセット、もうさすがカネコアヤノだった。前にラジオで、弾き語りの時とバンドの時との違いを話してくれたのを思い出した。弾き語りの時は自分と向き合う大事な時間、そしてバンドの時はとにかく楽しい!と言った彼女は本当に楽しそうで誰よりも気持ちよさそうだった。真横から見ていたのだけれど、目の周りのキラキラが反射する横顔に思わず見惚れてしまった。鼻の奥がツンとした。

 

スピッツは言うまでもなく最高の最高の最高だった。初めて見たコレクターズやズーカラデルでもご機嫌にダンスしていたはずなのに、スピッツが始まった途端カミナリに打たれたみたいに動けなくなった、かっこいいなあ。たまんないなあ。ほんとたまんない。さすがのスピッツ、持ち曲も多すぎるのでもう何がきてもびびってしまう。わたし生きてて嬉しいな………。草野さんが去年3050ツアーの時言った「せっかく同じ時代に生まれたんだしさ」という言葉を何度も思い出している、それってすごい奇跡だ。大好きな人と同じ時代を生きている、生きている時間を共有している、新たな音楽が生まれたタイミングに立ち会える、それってすごい奇跡だよな。

 

スピッツのドルフィン・ラブをカバーしてくれたコレクターズも本当に良かった。2日目見れなかったけど(死ぬほど悔しい、死ねない)ミツメのプールもそう、スピッツのこと本当に好きじゃないと絶対できない選曲だよなあ。ミツメのプールのこと考えすぎて夏が終われません。