ともだちは海のにおい

人間以外のものになれるのなら、美しい祈りになりたい。

 

今年もまたてんでめちゃくちゃの夏で、なんだか疲れて、とりあえず今ここから逃げ出したくて、もう面倒くさいので死にたくなってしまった。でもどうせ死ぬならいつも行く本屋の上の喫茶店のホットケーキ食べようかなと、ホットケーキセットを食べたらあっという間に元気になってしまった。メープルがひたひたの一切れを最後にとっておくのがわたしのくせだ、コーヒーも美味しかった。結局のところお腹がすいて泣きたくなっていただけなのかもしれないし、それなら現状がなにも変わらなくても、そうかそうかと思った。お腹がすいたらごはんを食べればいいね。

 

 

茶店のおじさんは絵本コーナーと喫茶店をウロウロ行ったり来たりするわたしをついに覚えてくれて、割引券をくれるようになった。使わなくちゃな。おじさんがわたしに割引券をくれなくなるまで死なない。

 

 

わたしの生活はひとりでどんどん奇妙なところに走り出しそうだ。壁や手帳に貼るためのものを集める、道や店でがらくたを集める、好きだった絵本をとにかく集める、野良猫には必ずちょっかいを出す、生きものの飼い方を暇さえあれば調べている、赤ちゃんには必ず笑顔を見せる、もらった手紙の数々をずっとずっと読み直す、歩道のタイルの足の踏み場が気になる、そんなことばっかりだ。でも、そういうことの積み重ねが美しい祈りになると、馬鹿なわたしは信じて疑うことができない。泣きそうだ。どうしようもなく馬鹿なのだ。

 

 

 

 

 

8/26 追記

 

夢、あんまり持てない生き方をしている。このあいだ面接練習をしていて「今まででいちばん嬉しかった事はなんですか?」って訊かれた、みんなは答えられますか、わたしは全然思い浮かばなかったよ。帰ってから少し泣くほど落ち込みました。夢、嬉しかったことがポンポン出てくる人になることかなあ、なんかダサいな。いや、でもいちばんを訊くなよ、嬉しいを比べるなよ。おまえにわたしの何が分かるんだよ。腹が立ってきた、なにに怒ってんのかわたしは。アホくさい。

 

 

 ここ数日、どこか決まった町や家に住むことって素敵だなと思った。今住んでいる町をたくさん好きになることは、必要に応じてそうなるよう努力することは、これから先住むかもしれない町の好きになりかたを多く知っていることにつながっている。と考えたらすごくいい。いいんじゃないかな。

経験が現在の糧に、現在が未来への投資になると思うと、それはそれで途方もない。でも例えばふと思い立って遠くに住んでるともだちに会いに出かけることは、これから先ももし誰かや何かのためにどこかへ行こうと思ったとき、それがどこへでも行けることへの証明にだってなるわけ。そう思うと行動が楽しくなってくる。楽しく、そして何かのために生きよう。たぶんそれは祈りだ。おやすみなさい