口笛

海が好きなのに、なんとなくいつも海には届かないなあとか遠い存在だなあとか、とにかく引け目を感じてしまう。

 

わたしは海に対して特になにか深い思い入れや忘れられない思い出がある訳ではなく、泳げるわけでもなく日にも焼けたくなく、ただ母の実家で寝るときに聴こえる夜の海の音が好きだったな、くらいのもので、そんな感じ。盛岡に住み始めてからは、位置的に日本海沿岸出身を名乗っているけれど、むしろわたしが育った町は海まで車で農道を走らせ10分、実家の庭からは360度見回しても必ず山がある、みたいなところだったので、近い気がするのにそんなに海は身近じゃなかった。歩いては行けなかった。 

 

海から100キロメートル離れた町で海を思うことはなんだか安心する。正確にこの気持ちを言い表すのならたぶん少し違うのだけれど、なんとなく、他人事の気分だ。芸能人のだれそれをフルネーム呼び捨てで好きと言う、みたいな感じと似ているかも。近づいたら近づいたで気持ちが落ち着かないので海とは上手な距離の保ちかたがわからない。

 

海にこだわる必要なんか本当のところはどこにも無かったんだけれど、3年前、心の拠り所を持てないままふらふら住んだ町でたったひとり、新しいことや人、環境に馴染めず、苦しい過去の繰り返しのような気がしてかなしくて心がもみくちゃになって困っていたら、ちょうど理由をつけて遠く恋しがるものが出来た、くらいの話だったのかもしれない。

 

いや、やめよう。好きなら好きでいいのに、ごったごたと無意味に言葉を並べて、こんな風に変な気分にわざわざ自分からなることない。心に芯が無く空っぽなら、別にそこに海を流し込んだっていいのに。過去ばっかり掘り返して自分でやってて少し馬鹿馬鹿しくなる。いつもそう。春が来るすこし前の日本海って静かで、色が暗くてさみしい。

 

 

 

 

ただのコンテンツにしてはいけないものがあると思った。でもどうしたらいいか分からない。何ができるんだろう。また言葉にできないものが増えていくな。日記もだんだん書けなくなってきた。でも言いたいことなんか何もないと思うにはまだまだ遠く、知らなくちゃならない事ばかりだ。正解はないけれど、わたしの視界に入るものすべてに濁りのない目を向けたい。風通しをよくしたい。東北の春が今年もあたたかいといいな。