世界ベランダ化計画

冬至から1週間くらい経った。気のせいではなく日が延びたなあと思う。また1年で1番好きな日にひとあしずつ近づいていくのだ。とても嬉しい。

 

大掃除というわけではないけれど少し要らなくなったものを整理した。ベランダが欲しいベランダが欲しいと常日頃から思っているくせに、外の小さなスペースにつながる窓をふさぐようにピアノを置いていたのは他ならないわたしだった。模様替えしよう。春になったらそこの小さなスペースに小さな椅子を置いて本を読もう。テーブルなんかも置いてしまおう。プランターも置こう。コスモスを育てよう。来年は最後の1年だしこの部屋ともたくさん思い出を作っておこう。

植物で思い出したけれど、少し前、大学の近くの坂の下の花屋で多肉植物を買った。多肉植物、と書かれたコーナーでいちばん小振りでかわいいぷにぷにしてそうな鉢植えを手に取ったのだけれど、店員にこれは何という植物か、と訊いたら「多肉植物です」と。いやそういうことじゃないだろう、と思ったけれど黙ってその多肉植物ちゃんを連れて帰った。あの花屋大丈夫かなあ。

 

今年の目標は、自分から他人を遠ざけないことでした。できたかな。わかんないな。たぶんできなかったな。遠ざけたというか、逃げたな、とにかくわたしはよく逃げる。

なんならこの町にも逃げてきた、よく分からんけれどこまごま面倒くさいものから。

 

他人と言葉を交わして、目線を合わせて、関係をつくるのは並大抵のことではないと知りました。まだまだがんばらねばなりません。

 

まず第一わたしは他人と言葉を交わす時に上手に目線が合わせられない。どんなやさしい人を前にしてもだいたいこわい。やさしいとか関係ない。会話のどのあたりから目線を合わせ始めてどのあたりで逸らしていいのか分からない。それとも見つめ続けながら話すものなのか。そもそも普通の人はそんなことを考えていないかもしれない。

 

目線を合わせられないと言えば、中学2年の頃だったか、わたしのあまりのコミュ障ぶりに、ほっとけばいいのに何故か勝手にしびれを切らしたクラスメイトのギャル見習い(あくまで見習いだった、だってダサかった)みたいな女子が、給食の時間「練習しよう」などとよく分からんことを言って、至近距離(食堂の隣の席なんか寒気がするレベルで近い)で目を合わせながら会話をすることを強要させられる、そんな苦行があったことを思い出した。ストレスで参ってその週は胃炎になった、笑えるほどダサい。

 

来年はいろいろまた勉強の1年か、それでもまあいいか。いや、よくはないか。落ち込むなあ。わりとそこまで言うほど落ち込んでもいないなあ。来年まで課題もちこし。がんばります。