やさしさ

今までわたしは「やさしさ」について考えていることが多かったな。やさしくなりたくて。

 

実家の祖母はわたしのことをよく優しい子だと言って褒めてくれたり友人や親戚に自慢してくれたりしたんだけれど、それはどうだったんだろうか。

「優しい」は「優れる」という字を書くのだな。

嬉しかったけれど、褒められたいから、がいちばん大きな理由で、子どもみたいな理由だけれど、まあ子どもっぽいし、実際あの家でわたしは子どもだったのだし、それよりもふたつ上の高校生の姉が祖母に冷たく振る舞う様子を見下して、正反対のことをしていたように思う。そのせいで余計に祖母はわたしのことを褒めたのだと思うけれど。

 

だからわたしにとってあの頃「人に優しく振る舞うこと」はもはや当てつけだった。中学校でもわたしは同級生に対して馬鹿みたいに優しかった。なんて厄介な反抗期なんだよと思うけれど、もうどうでもよかったのだと思う。優しく振る舞ったってそれを返してくれる人なんかいなかった。きっとまわりはわたしのことを「優しい」だなんて一度も思ったことがなかったんだろうな。気の弱い、とも思わなかったんだろう。だいたいは仇で返された。周りにはやさしくない人ばかりで、頭の悪い同級生ばかりで、だからわたしは仕方がないので、逃げるという選択肢を得て、逃げた。地元の人たちなんかみんな嫌いだった。

どいつもこいつも馬鹿ばっかり。優しくしていた相手に対してそんなことを考えながら過ごしていた。

 

だからわたしは本当はやさしくなかったと思うし、優しく振る舞える自分のことが好きなだけだった。その頃からもう自分の世界はぐらぐらに歪んで、やさしいということなんか何も分からなかった。やさしくなりたかった、誰のためというわけでもなくやさしくなりたかった。けれど、誰のためにやさしくなりたかったのか分からなかったので、自分からなりたいものを遠ざけていたような気もする。

 

やさしい人が好きだ、人を踏みにじらないような人が。なんなら人じゃなくていいし、星や川や花のほうがやさしいなと思う日もあるし、海が気持ちのどこかにあれば、もうそれでいいかな、と思う。でも、やっぱりやさしい人が好きだ。

 

 

まだ、やさしい人になれるかしらなあ。やさしくなるにはどうしたらよいのかなあ。この秋くらいまで、そんなことばかりずっとずっと考えていた。