最近なんだか思うことは、人目を惹く話をするには、手っ取り早い悪者がいなくてはならないのだということです。

 

学校、先生、老人、医者、総理大臣、政治、具体的になったけれど、なんでもいいし誰でもいいのです。みんなから疎まれる要素のある人なら誰でも悪者にしてもいいのです。そうでしょ、気づいてないだけであなたたちはそういう話をしてるよ。

 

あなたたちが真面目な顔で社会問題を考えてるふりしても、ほんとうはただ毎日毎日決まりきったあらすじの楽しくない絵本を読んでるのと同じです。オオカミや鬼や怪獣はいくら1人でも、ひどい殺され方をしても、誰も文句を言わないのです。だってオオカミの事情なんて絵本の中では必要とされていないのだからね。

 

結局だれでも、語りというものは主観です。これはあたりまえのことだけれど、印象操作であったり、他人を貶めて自分を上げようとしているのが見えてしまっていたりする話は、たとえ弱者の味方でありヒーローであっても嫌悪感をおぼえます。おかしい、狂っているとさえ思います。

目をつむるとはどういうことかを考えているよ。自分で考えられなくなったらそれはもう見えていないのと同じです。

 

たとえ悲しくてもやさしい話のほうがずっとずっといい。わたしはパンクなので、反骨精神に、抗いつづけます。聞く者を焚きつける話をする人間のことをわたしは一切信用していません。やさしくない人をわたしの領域には絶対に踏み入れさせないぞと思っています。

 

 

何か思想みたいな話をするのは好きではないけれど、これはわたしに言い聞かせるためのものです。

オオカミに、なりたくないです。でも、わたしはオオカミのほうがいいのです。