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初恋に捧ぐ

 

 

全ての初恋に捧げる

今、僕はぴくりとも動かなくなった愛車の前で途方に暮れている。動かない車ほどみじめな物は無い。渋滞にはまったレッカー車を果てしなく待つ。通りすがる車が邪魔だとクラクションを鳴らす。足元には無数の吸い殻。「どう仕様も無い」という状態はまさにこの事だ。世の中には「どう仕様も無い」事がいっぱいで、その連続の中に僕らは生きている。

 西山君が突然いなくなった。僕はただ、揺るぎ無い事実を噛み締める事しか出来ない。「どう仕様も無」かった。締め切りが間近に迫ったこのライナーノーツの事をふと思い出した。幾度となく書き直しては捨てた。何を書くべきか定まらなかった。煮詰まっていた。「どう仕様も無い」のだ。

 結局、僕にとっては初恋の嵐のアルバム、それだけで完璧だ。僕が書き足す事なんて何も無いよ。このアルバムを手にした人々の心に、それぞれ違った初恋の嵐が育ってゆけばいいと思っている。

 この場を借りて言いたい僕の望みはただひとつ、とにかくこのアルバムを楽しんで欲しい。この作品はあらかじめ悲しいストーリーの元に語られる運命を背負っているが、そんな話は抜きにして、この極めて純度の高い奇跡的なロックンロールに、素直に耳を傾けて欲しい。西山君の剥き出しのメッセージは、あらゆるイマジネーションを喚起させてくれる筈だ。ある若者にとっては音楽を始める切っ掛けとなるかも知れない。それはその人なりの楽しみ方だと思う。生前の西山君を知る人は激しく嗚咽するかも知れない。語弊があるかも知れないが、それもまたその人なりの楽しみ方だと思う。またこの作品を真っ向から否定する事だって、ひとつの楽しみ方だと僕は思う。嬉しい事も悲しい事むかつく事も、全て並列の感情として楽しんで欲しい。

 結ばれる事をあらかじめ諦めている初恋、みたいな、「どう仕様も無い」出来事に翻弄され続ける日々の、ほんのひとかけらとして、このアルバムが長らく享受される事を望んで止まない。そんなかけらの積み重ねで、僕らはそれぞれに、少しずつ大人になってゆく。

                            - 土橋輝志

 

 

 わたしが高校生の時からずっと好きなアルバム、初恋の嵐のファーストアルバム「初恋に捧ぐ」のライナーノーツです。

 

3月2日、初恋の嵐ボーカルギター西山達郎の命日に、彼のことをどうしても書きたくなって、なんども聴いたアルバムの、なんども読んだこのライナーノーツを久しぶりに開いた。そしたら、ああ、これはきっとわたしの言いたいことが、そのまんまだ、と思ったのでまるごと全文を載せた、良くなかったかもしれないけれど。

 

人の命日は、その人のことを忘れないためのものだと思う。今日だけ、どうかすこしだけでもいいから彼の生きた証のような、「どう仕様も無い」ものを感じたくて、聴いてほしかった。

 

 夏のはじめの、うだるような夜に眠気の奥で聴いたこのアルバムの、やるせない恋のような、途方もない不安のような気持ちが今も鮮明に思い出せるような気がして、

 

今年の夏に活動休止してしまう初恋の嵐の、音楽だけはいつまでも鳴り止まないでほしいと願いながら今夜は円盤をまわします。