クロニクル

 週末、富士吉田に行ってきた。行かずにいられなかった。志村正彦の没後10年に合わせて発売される未発表映像作品の先行上映會、"路地裏の僕たち"による志村正彦展、が、ふじさんホール(旧 富士五湖センター)で行われた。

 

 

 月江寺駅に着いたら、2008年の富士五湖センター公演の時の「夢よ叶え!聴かせておくれよフジファブリック!」横断幕が駅の前にデカデカと掲げてあって、もうすでに泣きそうなわたしの後ろから、ファンの人と地元のおばあちゃんの「今日何かあるの?」「フジファブリックってバンドのイベントがあって…」「ああ!あの八百屋さんのとこのマサヒコくんね〜」という会話が聞こえてきた。ここは彼の街なんだ、わたし達ファンにとっては永遠のロックスターでもこの小さな街では1人の愛すべき子どもだったって感じてしまっていろんな気持ちになりながらホールに向かった。

 

 

 上映會、すごくよかった。11時の回は序盤映像トラブルがあったんだけど、それすらも、おいおい志村がまた来たんじゃないのってあたたかい拍手が会場から聞こえて、いいなあって思った。2009年のアルバムCHRONICLEツアーのライブ映像で、動く志村正彦を見て、「ああ、志村正彦のいるフジファブリックのライブが見れた」って思った。

 「路地裏の僕たち」主催の志村正彦展では、生前の写真や機材、歌詞やファンからの手紙、中野でやった最後の志村會の時の大きな写真が展示されてた。亡くなる前日の写真があって、本当に楽しそうに笑ってた、この人はこの夜に亡くなってしまったって思ったらなんか信じられなくなった。幼少期の写真は普通のやんちゃな男の子って感じでかわいかった、ただ、目だけはずっと同じだな〜って思った。

 

 上映會が終わって、路地裏の僕たちから貰った下吉田てくてくマップを片手に彼の街を歩いた。路地裏って言葉が似合う街だな、どこの角からも猫が飛び出してきそうだった。

 

 

 この上映會と志村正彦展を通して、ああ、志村正彦はいたんだなって実感した。わたしはもしかしたら志村正彦展も上映會も、彼の生きた証を目の当たりにしたらつらくてもっとウワ〜って泣いちゃうかと思ってた。でも笑顔の写真や映像がたくさんでうれしかった、本当にこの街や人に愛されてたんだって思った。同じくらい、どれだけ彼がこの街を愛してたのか少し感じられたような気がした。

 

 

 愛ってのは相手を想い続けることで、愛するってのはそれを相手に伝え続けることなんだって昨日分かった、それが分かったからきっとうれしかったんだな。この世にはもういない人を愛するって、正解はないんだけど、というか正解なんてなににおいてもきっと全然無いんだけど、でもきっとああいうことなんだなって思った、すごいよ。

 志村正彦を、"いない人"として扱うわけでも、勿論"いる人"として扱うわけでもない、ただ"ここにいたよ"、まだ想ってるよ、それは変わらないよって伝える上映會と写真展だった。

 だから、涙も笑いも悲しみも嬉しさも楽しさも呆れも情けなさも全部が、会場と会場にいた全ての人にあったね。それを全部全部見せてくれたフジファブリックやスタッフや路地裏の人たち、富士吉田の人たち、本当に志村正彦のこと愛してるんだな、夕方のチャイムが若者のすべてになっているこの7月に行けてよかった。こんな愛されかたってあるかよ。受け止めきれずに断続的にずっと泣きながら岩手に帰っています。本当に行ってよかった。ありがとうございました。

 

 

 そしてそれはフジファブリックフジファブリックとしてあり続けていたから出来たことで、知れたことで、志村正彦は、フジファブリックはいつまでも過去にならない。フジファブリックは最高だ。2004年の時点で山内総一郎が「フジファブリックにとって一番大事なことは続けること」「続けなきゃいけない」って言ってて、関西弁のチャラくて若い総くんが世界一頼もしく見えた。続けてくれてありがとうっていうのは少し違うのかもしれないけれど、きっと一生好きなバンドだなって思った。これからもずっと続きが聴きたい。

 

 

 3年ぶりに行った富士吉田の街は変わらずなんだか好きで、これからもきっとまた来るんだろうなって思った。3年前も今回も天気が悪くて忠霊塔のあの丘から富士山を望むことができなくて、七夕の短冊にお願いして帰った。次は富士吉田の地で富士山が見られますように。

 

 

 

キミに会えた事は キミのいない今日も

人生でかけがえの無いものでありつづけます

  (クロニクル)

最近の話

 大学生のときよく聴いてたきのこ帝国が活動休止した、かなしいというより、なんだか、そうか、と思ってフタをしちゃった。19歳の春のこと、20歳の春のこと思い出す、わたしはあの時いつか必ず、必ずと思い続けていた、腹の中が煮えてた、本当はもうよかったことまでずっとまだ煮えてた、あの時わたしはちょっと苦しかった。いつも朝焼け見ながらひとりで近所の池のまわり歩いてた。

 でもそれと一緒に、大好きな人たち、大好きなバンドの写真を河原で撮ってたこと、みんなタンポポの綿毛飛ばして笑顔だったこと、うれしかったけどあの人たちはすごく特別だ〜何にも変えられない、こうして関われることがうれしいけれどすごくせつないと思って少し泣きたくなったこと、帰り道タンポポ踏んで帰ったこと、雨の中傘さして友達のバイト終わるの迎えに行ったこと、よくわかんない人たちと馬鹿みたいな悪巧みをファミレスでしたこと、結局その悪巧みは叶わなかったんだけど、そういうの全部なだれ込んできて、わたしはずっとずっと幸せなのだ。今だってずっと幸せなのだ。

 

 わたしはずっと、誰かのために何かに怒ってる時ならやさしくなれるかもって思っていた。誰かのことを思って身体が震えるくらい怒ったことだってあった。

 わたしはすぐに怒る。本当はすぐに怒る自分のことが好きじゃない、わたしが怒ったときに事態は好転したことがない、たぶん怒るのが下手なんだ。でも怒ったときはそんなの関係ない、全部切り刻んでやる!って思う。君はすぐ怒るよねって友達にも言われた、でもその友達はわたしが怒る人でよかったって言ってくれた。よかったのかな。

 

 最近は忙しくて怒ってる暇なんかなくなった。いいのかな。わるくはないと思うけど。

 

 

 

 最近のいいことその1。この町も少し好きになってきた。行きつけの喫茶店ができた。何も予定がない週末はひとりでぼんやりコーヒー飲みながら本読む、コーヒーを頼むと必ずチョコレートがついてくるの、おいしい。

 最近のいいことその2。また少し寒くなってしまったけど、夜風が気持ちいい日が増えた。ぬるくて涼しい風の中を半袖で歩く夜は水槽の中にいるみたい。わたしは金魚だ。

 最近のいいことその3。お腹がいっぱいになるまでカレーとすごく大きいナンを食べた。すごく大きいナンはすごく大きい。

 

 

 眠い日々が続いています。よく眠って長い長い昼間を生きるのだ、わたしたちすべてのものの命みなぎる初夏なのだ。おやすみなさい。

好きな絵本の話

 絵本がだいすきで、いつからだったか毎月好きな絵本を必ず一冊買うことに決めている。今月の絵本、って本屋をぶらぶらするのがたのしい。

 

 たしかいちばん初めに買ったのは、にしまきかやこ作、わたしのワンピース、母の実家にあっただいすきな絵本で、うさぎの女の子が真っ白いすてきなワンピースをつくる。そんでそのワンピースを着て花畑を歩くと真っ白かったワンピースはいつのまにかいちめんの花もようになってる。すてき!と思って原っぱを歩くと今度は原っぱのもよう、鳥の群れに会えば鳥のもよう、突然の雨に降られれば水玉もよう、夕暮れもよう、満天の星空もよう、どんどんワンピースのもようが変わっていく。うさぎの女の子はいつでもラララン ロロロンってうたいながら歩いていくの、小さいころは特になにも考えず読んでいたけれど、すごく好きだな。今のわたしが洋服がだいすきなこと、歩きながらすてきなものを見つけるのが得意なこと、原点はこの絵本なのかもしれないなと最近思うようになった。ほんとうは雨の日や寒い日は得意じゃないけど、わたしはわたしのワンピースをすてきなもように変えていくのだ、とかよくわからないことをいつも思っています。

 

 

 

日がのびてきたな。5月や6月のにおいがたまらなくすきだ!体調は崩し気味だけどまけないぞ〜〜

のはらうた

 盛岡を離れた、さよなら、盛岡での4年間があって良かった。

 

いろいろあったんだけれど、1番うれしくて幸せだったことは大好きな友達ができたことだった。友達はかっこよくて、眩しくて、なんかだらしないときもあるんだけど行動のひとつひとつに理由があるように見えて、変な子なんだけど、どうしてもずっと好きだった。初めて心の底から人間としてこの人のことが好きだなあと思った。大好きな友達といれば無敵な気持ちになれた、別にたいしたことはしなかったけど君といるならなんでもできる!なんかラーメンに今日はライスつけちゃおかな!みたいな馬鹿な無敵さ、わかる?夜中のマックで待ち合わせして遊んだり、キャンプの時に準備抜け出して日本海の夕陽見たり、一緒にライブ行ったり、街中で急に叫んだり踊ったりする君にハラハラしたり、さらに友達を呼んで夜中に星見に行ったり、夏の夜の大学で缶チューハイ片手に静かにおしゃべりしたりとか、なんかとにかくここでの生活はすごく楽しかったんだ、良かった。

 思い出すとなんだかわたしたち、青くてかわいかったな。うれしかった。あったか〜〜、春ですわ。

 

 

 わたしの仕事は未来を創る仕事だ。と、思う。そうじゃなきゃいけないと思う。がんばりたい。

 わたしが子どもの頃近くにいてほしかった大人になる。難しいと思う。でも子どもでもい続けたいと思う。さらに難しいと思う。大人のまま子どもになれる人はかっこいい!すごくかっこいいよ。

 わたしはわたしが憧れる人間のようには自分に芯などなくてずるくて頭も容量も悪い。なりたい大人には一生なれないかもしれない、けどそれってつまり勉強だ、勉強って好きかもって最近思う。

ただ、勉強するということは自分が変わることだから、怖い。これまでもそうだったみたいに、今までの自分ではいられなくなるね。でも今日みたいに今までのことを思い返してじんわりあったかくてさみしい気持ちになれるのなら、大丈夫かな。幸せです。

 

 なんだかいろんな友達に会いたくなってきた、もうすぐ春が来るから足が軽いよ。

カレンダーをめくったら

 

今のわたしは、祈りが呪いに変わらないか、悲しみが怒りに変わらないか、強さはだれかを攻撃をしてしまわないか、無関心は人を殺さないかがいつも怖い。

 

わたしは誰かのために生きたい、君のため、誰か不特定多数の君のために生きたい、それはあの子でもあるしあの人でもあるしもういないあの人だったり、あいつだったり、もうきっと関わることのない名前も忘れた人だったりする。もちろん家族や好きな人や友達やみんなだね。それが自分の生き方のためになると思っているからかもしれない。

 

22歳になった。やっぱり春からこの町を出ることになった。18歳のとき秋田を出る日も思った、今までなんとなくやんわりと会って話したり遊んだりしていた人とはこれからきっと、なんとなくやんわりと会えなくなっていくんだろうなあ。少しずつ。夢の中の話みたいだ、全部覚えていられるわけもないもんね。なんだかさみしい。でも宝物は増えていくから、大事な脳の作業みたいなものかもしれない。そしたら寝なきゃな。

 

新しい家は今よりも広くて日当たりがいいんだ、それが楽しみです。がんばります。