HOPE

昨日と今日、とっても気待ちのいい秋晴れの日だったので、ずっとずっと上を見ながら自転車をこいでいた。本当にずっとずっと上を見ていた。長い雨は夏を完全に連れ去ってしまったことがわかった。ついでに上を見ていてもだいたい自転車をこげて、家に帰れることもわかった。事故をおこしそうだったのでもうしない。

 

昨日はテレビーズを聴いて、スピッツを聴いて、カネコアヤノを聴いて、今日はシャムキャッツを聴いて、コモンビルを聴いて自転車をこいだ。あの日のこととか、違う日のこととか、去年とか、2年前とか、もっと前とかをたくさん思い出していた。晴れた秋はずっとずっと好きだ。毎日が晴れなら息がしやすいのになあ。

 

今月もまた1冊絵本を買った。これのおかげで毎月がたのしみになっている。小学校の頃は友達と上手く遊べなかったので家に帰ってひとり絵本ばっかり読んでいた。

友達、友達ってうわごとみたいにいつも言っていて馬鹿みたいだなあと我ながら思うけれど、本当にそうなんだよね。21歳になっても未だに、新しい友達ができた日の夜は頭から布団をかぶって泣いています、うれしいとかかなしいとかじゃなくて、もしかしたらそれもなのかな、わからないけど泣いてしまうな。いつもありがとう、思っているよりずっとずっとわたしはあなたたちのことが大好きで会いたくてたまらないです。

誰とすぐに会っても話ができるように準備運動しとかなくちゃ、だから好きな服を着て明日も家を出るよ。

手帳の書きそびれ

 

短い東京旅行へ行った、新木場サンセットに行くため、東京の友達に会うため。

 

東京に住んでる、同じ高校だった友達で、ほとんどわたしの一目惚れで仲良くなった。すごくいい子で一緒に歩くのが好きだ。待ち合わせのひと駅前の高円寺でひとり降りて散歩しながら喫茶店に向かった。ちょっとごちゃごちゃした朝の呑み屋通りが好きだ、インスタントカメラを持って歩いていたら窓から顔を出してるネコと目があった。

 喫茶店は、その日見るカネコアヤノのMVの撮影場所だったらしい、実際に働いてもいたとか、ほんとか、びっくりした。帰ってきてから知った、素敵な偶然だった。

 

仕事はどう、学校はどう、とか最近どう?とか、最近誰々に会っただとか、今年の夏の話とかしながらキラキラのクリームソーダを飲んでから、動物園に行った。

上野公園、でかかったなあ。動物もたくさんで、ああだこうだ言いながらひたすら歩いて、出るころにはくたくたになっていた。汗だくで、ベンチでふたり仲良く昼寝もしてしまったし、でもたのしかった〜。

 

もうちょっとゆっくりできたらよかった。よく高校から駅に向かう道を話しながら歩いていたの思い出した、また遊びたいなあ。またね。

 

 

 

 友達と別れ新木場に降りたったら、こんどは駅前のコンビニで去年の夏スピッツのために一緒に香川旅行した子にばったり、なんて偶然だ!というか、お互いにやっぱりお前がいたか!と大笑いした。お互いに相変わらずだ。遠くに住んでるけど高校の頃からの付き合いだ、一個下の子で、何故かパイセン呼ばわりされている。偶然が素敵を呼びまくるいい日だなあ。

 

 

 

ライブも最高だった、まちがいなくあの夜世界で1番素敵な場所だったと思う。

 

カネコアヤノのバンドセット、もうさすがカネコアヤノだった。前にラジオで、弾き語りの時とバンドの時との違いを話してくれたのを思い出した。弾き語りの時は自分と向き合う大事な時間、そしてバンドの時はとにかく楽しい!と言った彼女は本当に楽しそうで誰よりも気持ちよさそうだった。真横から見ていたのだけれど、目の周りのキラキラが反射する横顔に思わず見惚れてしまった。鼻の奥がツンとした。

 

スピッツは言うまでもなく最高の最高の最高だった。初めて見たコレクターズやズーカラデルでもご機嫌にダンスしていたはずなのに、スピッツが始まった途端カミナリに打たれたみたいに動けなくなった、かっこいいなあ。たまんないなあ。ほんとたまんない。さすがのスピッツ、持ち曲も多すぎるのでもう何がきてもびびってしまう。わたし生きてて嬉しいな………。草野さんが去年3050ツアーの時言った「せっかく同じ時代に生まれたんだしさ」という言葉を何度も思い出している、それってすごい奇跡だ。大好きな人と同じ時代を生きている、生きている時間を共有している、新たな音楽が生まれたタイミングに立ち会える、それってすごい奇跡だよな。

 

スピッツのドルフィン・ラブをカバーしてくれたコレクターズも本当に良かった。2日目見れなかったけど(死ぬほど悔しい、死ねない)ミツメのプールもそう、スピッツのこと本当に好きじゃないと絶対できない選曲だよなあ。ミツメのプールのこと考えすぎて夏が終われません。

ともだちは海のにおい

人間以外のものになれるのなら、美しい祈りになりたい。

 

今年もまたてんでめちゃくちゃの夏で、なんだか疲れて、とりあえず今ここから逃げ出したくて、もう面倒くさいので死にたくなってしまった。でもどうせ死ぬならいつも行く本屋の上の喫茶店のホットケーキ食べようかなと、ホットケーキセットを食べたらあっという間に元気になってしまった。メープルがひたひたの一切れを最後にとっておくのがわたしのくせだ、コーヒーも美味しかった。結局のところお腹がすいて泣きたくなっていただけなのかもしれないし、それなら現状がなにも変わらなくても、そうかそうかと思った。お腹がすいたらごはんを食べればいいね。

 

 

茶店のおじさんは絵本コーナーと喫茶店をウロウロ行ったり来たりするわたしをついに覚えてくれて、割引券をくれるようになった。使わなくちゃな。おじさんがわたしに割引券をくれなくなるまで死なない。

 

 

わたしの生活はひとりでどんどん奇妙なところに走り出しそうだ。壁や手帳に貼るためのものを集める、道や店でがらくたを集める、好きだった絵本をとにかく集める、野良猫には必ずちょっかいを出す、生きものの飼い方を暇さえあれば調べている、赤ちゃんには必ず笑顔を見せる、もらった手紙の数々をずっとずっと読み直す、歩道のタイルの足の踏み場が気になる、そんなことばっかりだ。でも、そういうことの積み重ねが美しい祈りになると、馬鹿なわたしは信じて疑うことができない。泣きそうだ。どうしようもなく馬鹿なのだ。

 

 

 

 

 

8/26 追記

 

夢、あんまり持てない生き方をしている。このあいだ面接練習をしていて「今まででいちばん嬉しかった事はなんですか?」って訊かれた、みんなは答えられますか、わたしは全然思い浮かばなかったよ。帰ってから少し泣くほど落ち込みました。夢、嬉しかったことがポンポン出てくる人になることかなあ、なんかダサいな。いや、でもいちばんを訊くなよ、嬉しいを比べるなよ。おまえにわたしの何が分かるんだよ。腹が立ってきた、なにに怒ってんのかわたしは。アホくさい。

 

 

 ここ数日、どこか決まった町や家に住むことって素敵だなと思った。今住んでいる町をたくさん好きになることは、必要に応じてそうなるよう努力することは、これから先住むかもしれない町の好きになりかたを多く知っていることにつながっている。と考えたらすごくいい。いいんじゃないかな。

経験が現在の糧に、現在が未来への投資になると思うと、それはそれで途方もない。でも例えばふと思い立って遠くに住んでるともだちに会いに出かけることは、これから先ももし誰かや何かのためにどこかへ行こうと思ったとき、それがどこへでも行けることへの証明にだってなるわけ。そう思うと行動が楽しくなってくる。楽しく、そして何かのために生きよう。たぶんそれは祈りだ。おやすみなさい

色のない鳥

 

映画のエンドロールを見ながら、自分が死んだときに自分のエンドロールが欲しい!と思った。

親: とか友人: とか隣人: とかクレジットされてたらおもしろい。すごく良いね。人生で関わった人全員流すのだ、あの時道尋ねた人とか、友達の知り合いでなんとなく挨拶して他愛ない言葉を交わした人とか、なんかそういうの本当に全員流すのだ、好きだった音楽とかブランドとかのロゴも羅列してやる。

スペシャルサンクスばっかりの人生がいいよ。本当に心の底からそう思う。毎日毎日わたしは泣きそうだ。

憎むくらい大嫌いだった人コーナーも作ったっていい。今は別にそんな人いないけど、でも見た人がちょっと笑える感じになればいい、死ぬまでに1人くらいめちゃくちゃ嫌いなやつだって出来るだろう。

通夜一晩じゃ流しきれないエンドロールが欲しいな。自分じゃ気づけなかった、自分を支えてくれていた人とか、遠くからでも少しでも自分のことを思ってくれてた人も全部全部載せたらめっちゃおもしろいだろうな、幸せだろうな。まあ根本的な話、その時もう自分死んでるんですけど。

 

 

 

過去の日記を読んだ時、考えていることが特に何も変わっちゃいないなと思った。というか、それを思ったり考えたりした時からもう数か月から1年以上、長くて数年経ってることにも驚いた。

 

 

 

わたしが生きている毎日のあれこれ、生活の出来事は、別に全部が全部エンドロールへの伏線なわけじゃない。

でも実は、きっとそうだったらいいなと、常日頃願わずにはいられないよ。

 

それでも覗きこむのさ

 今年は冬がすごく寒かったので、春の兆しがこんなにもうれしい。

と思っていたら、なんだかまたしとしとの雨はいつの間にか雪に変わっていたり、とけかけの雪道でしっかりすべって転んだりしている。もどかしいなあ、三寒四温というやつかしら。

この町に住んで3年が経った。この冬が今まででいちばん寒い。関東の梅の開花をとてもうらやましく思う最近です。

 

2月はなんだかずっとどんよりした気持ちで居てしまった(あと13年ぶりにインフルエンザにかかってしんどかった)。そしていつの間にか21歳になってしまっていた。自分のできない事に対して誠実じゃなくなってきた。友達との話し方がなんだかよく分からなくなってきた。勝手に距離を感じてぎこちない行動を取ってしまうような気がする。しかしもう進路の悩みや体調不良が少しふっきれて元気になってきた。なんだかいろいろと佳境です。佳境って言いたいだけ。元気もりもり。おう。やってやんぞ。

 

3月初めの土日、春の匂いがしそうだった(しなかった)。白鳥がどんどん北へ帰っていく。夕暮れの色がやさしい。空を見上げることが増えた。

 

 

 気づけば冬至は遠くへ、立春も過ぎて春分の日のほうが近くなっていた。わたしはどの季節もわりと好きだし、どの季節も少しずつ苦手だ。ただ、季節が過ぎていくことがなんだかせつなくてそれがとても楽しい。きゅるきゅるする。目の奥がぐるぐるもする。

 

早く夜の帰り道が気持ちいい季節になってほしいです。だれかの家の前を通ったとき一瞬だけする自分とは違うせっけんの匂いが大好き。

 

3月は花を育て始めます。よい冬の終わりを。