小寒

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ウボンマね

 

この冬ちゃんと帰って良かった。しゃんとしなきゃと思った。

 

小学校跡地を歩いたらプールがなくなっていた。竹水鉄砲で遊んだ公民館もなくなっていた。学校帰りによく寄った店は駄菓子を置かなくなっていた。母実家の町へ行ったら白い灯台がなくなっていた。

 

思うことはあるけれど、なくなったんだし、仕方ない。どうしようもない。覚えておかなきゃいけないかしら。予想していたよりあんまりかなしくない。育ってきた町が少しずつ少しずつ死んでいくみたいだけれど、そういうことは仕方がない。仕方がなくしないとすごくかなしい。

 

夕方の港を1人で歩いてみた。寒かった。

わたしは明るかった町がもう思い出せなくなってしまっても港からなんにもなくなってしまってもこの海がずっと好きだよ。

かなしみ

ずっとずっとかなしかったことが、時間が経って丹念に撫でてたら、そしてそのあとよく日にあてて風をあてて、放っておいたら、すこし平気になってきた。平気になってきたのに、なんだかひどく不安だ。気持ちの奥底にずっとあるのだと思っていたものがいつのまにかなくなっていることは、すごく怖いかも。

でもかなしみの深さで何かを測る必要はないよな。張り合う必要もないしな。かなしみがなくなるかなしみと、かなしみがなくならないためにすこし無理をしてかなしむことは、どちらがかなしいんだろう。それこそ不毛だ、かなしみなんかなくならないかもしれないし。

 

じゃあ、さて、どう生きよう。やさしくなりたいね。毎日こんなことを考えています。

1987→→→→

 

まだウォークマンもイヤホンも持ってなかった12歳、親の車にあったスピッツの三日月ロックを持ち出して真夜中、CDプレイヤーを抱いて、二段ベッドの上の段の姉を起こさないように、暑いのに布団をかぶって、ちいさなちいさな音でずっと聴いていた夏、わたしの醒めない瞬間だったと思う。

 

スピッツ結成30周年おめでとうございます、メンバー変更も活動休止もなくずっと続いてきたこと、素晴らしい音楽を鳴らし続けてくれたこと、これからもずっとずっと続くように願っています。

やがてくる大好きな季節

 

ちょうど1年くらい前にも書いたけれど、おだまきという花が好き、たぶんいちばん好き、桜よりもタンポポよりも月見草よりもシクラメンよりも好き。

ふりふりした背の高いものや、赤っぽいスイセンに似た亜種もあるけど、わたしが好きなのは背の少し低い藍色のシンプルなもので、原産はどこなのか分からないけど見た目がすごく日本画みたいでしょ、激烈しっくり感。激烈しっくり感って、語感がすごいね。

この季節はどこの家の軒下にもだいたい咲いていて、きれいね。たくさんある若い緑とはちがう青っぽくて薄い色の葉も、雨や灰色の空とよく似合うから日本ぽいのかなあ。生活に馴染む花の方が好きだな。

 

新しい素敵な青い腕時計や大好きなミントグリーン色の服や捲ったズボン、ひょっこり戻ってきた自転車や短く切った前髪に気分がもこもこする。みんなわたしの初夏のための味方だ。

今年はもしかして上手に生きられるかもしれない。

というのも、初夏がいちばん好きなのにあまりのエネルギーに毎年負けてしまうからで、今年はちゃんとしたいね、やろうね。

 

ともだち、少ないけれど、最近はともだちと話ができるととっても嬉しい。そのまんまもう、嬉しい。ともだちにそばにいてほしいだけです。ぬるい風だったりさらさらしたTシャツだったりシャンプーの匂いだったり、よい初夏にしたいなあ。